くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】ビットコインの自動売買ツールを1か月動かした結果

自動売買ツールを作って、1か月動かしてみた結果を共有します。

元手1万円で2倍でレバレッジ取引をしてみた結果です。

 

どんなルールで作ったかは前回の記事を参考にしてみてください。

kuramu1015.hatenablog.com

 

 

◆1週目(5/2~5/9)

■ 取引回数
  エントリー : 9 回
  決済       : 10 回
    うち利確  : 10 回
    うち損切り: 0 回(ストップロス 0 回含む)

■ 成績
  勝率       : 100.0%  (10勝 0敗)
  平均損益   : +71 JPY/回
  最良トレード: +157 JPY
  最悪トレード: +20 JPY

■ 損益
  週間P&L : +705 JPY

この週はプログラムが完成した直後だったので、こんな成績になるとは思ってなくて、恐怖を覚えました。ただこの週はビットコインは週次+10%のチャートでしたので+7%って結果はガチホの方が勝つので実質負けです。

 

◆2週目(5/9~5/16)

■ 取引回数
  エントリー : 8 回
  決済       : 8 回
    うち利確  : 5 回
    うち損切り: 3 回(ストップロス 0 回含む)

■ 成績
  勝率       : 62.5%  (5勝 3敗)
  平均損益   : -51 JPY/回
  最良トレード: +65 JPY
  最悪トレード: -324 JPY

■ 損益
  週間P&L : -408 JPY

先週の利益を半分以上飛ばしました。利確している回数は多いですが、小刻み過ぎて損切りの金額が大きくて負けてますね。

 

◆3週目(5/16~5/23)

■ 取引回数
  エントリー : 5 回
  決済       : 5 回
    うち利確  : 3 回
    うち損切り: 2 回(ストップロス 0 回含む)

■ 成績
  勝率       : 60.0%  (3勝 2敗)
  平均損益   : -43 JPY/回
  最良トレード: +45 JPY
  最悪トレード: -181 JPY

■ 損益
  週間P&L : -216 JPY

先週に続き負け越し!調整入れたい気持ちがありましたが、1か月はイジらないで結果を取りたかったので我慢。入れている金額も大きいわけではありませんし。

ちなみにClaudeAPI代は一日33円掛かっているので、赤字に赤字を重ねてます。

 

◆4週目(5/23~5/30)

■ 取引回数
  エントリー : 10 回
  決済       : 10 回
    うち利確  : 5 回
    うち損切り: 5 回(ストップロス 0 回含む)

■ 成績
  勝率       : 50.0%  (5勝 5敗)
  平均損益   : -17 JPY/回
  最良トレード: +138 JPY
  最悪トレード: -139 JPY

■ 損益
  週間P&L : -169 JPY

うーんwww勝率としては悪くないんですけど、小さく勝って大きく負ける事が目立つので、その辺りをうまく調整できるといいかもしれません。

 

◆結果として

調子が良かったのは初週だけでしたね。それでもガチホの方が成績いいので、やっぱ短期でのトレードは難しいな、、、と改めて再確認しました。まだもう少しClaudeAPI代は残っているので、課金が切れるまでは調整して遊んでみるつもりです。

それよりも裏で動かしていた株の自動売買デイトレBOTくんの方が調子よくて月に+7%くらいの成績でした。でも性分に合わないので、やっぱり今まで通りの配当目当てだとか、これが上がりそうだなってテーマを探してきてその関連株をちまちま買うのが合ってそうです。

 

そんなかんじで。

おしまい。

 

『その着せ替え人形は恋をする』~五条新菜と、好きを殺される僕たち~

「気持ち悪い」。

たった六文字。たった一回の発音。でもこの言葉は、人の人生を一生縛り続けるだけの呪いを持っている。

『その着せ替え人形は恋をする』の主人公・五条新菜は、子どものころ、仲のよかった女の子にこの言葉を投げつけられた。「男の子なのに雛人形が趣味なんて気持ち悪い」と。それで絶交。彼女は彼の前から去っていった。

たぶん言った本人は、何年か経ったらもうそんな発言したことすら忘れているはずだ。よくあることだから。子どもの言葉なんて、と。

でも、言われた側は忘れない。新菜はその一言で、自分の「好き」を一生隠して生きる人になった。

この記事で書きたいのは、五条新菜という男の子の話を入り口に、「好きを押し殺される現代社会」について考えてみたい、ということだ。彼の傷は、たぶん多くの人が形を変えて持っているものだから。

 

◆「呪い」が始まった日

新菜は、雛人形の頭師——人形の顔を作る職人——を目指す高校生だ。実家は岩槻の老舗人形店「五条人形店」。雛人形職人の祖父と、二人で暮らしている。

身長は185cmを超える大柄な体格。なのに自己評価は地を這うように低く、引っ込み思案で、自己主張はおそろしく苦手。クラスでは浮いていて、友達もいない。

原因はたったひとつ。子どものころ、自分の「好き」を否定されたことだ。

回想シーン・幼少期の新菜と、近所の女の子
「男の子なのに、人形が好きなんてキモチワルイ。」

そう言われて、彼女は新菜の前から消えた。

このシーン、漫画でもアニメでもけっこうあっさり描かれる。でも、ここで起きたことの重さはとんでもない。

新菜にとって雛人形は、ただの趣味じゃない。祖父の仕事への憧れであり、家族そのものへの愛情であり、彼が彼であるための核みたいなものだった。それを「キモチワルイ」と切って捨てられた。しかも、好きだった女の子に。

その日から、新菜の中である回路が出来上がる。「自分の好きなものを口にすると、人は離れていく」「だから黙っているしかない」。

これが、何年も何年も、彼を縛り続ける。

 

◆自己嫌悪じゃない、という独特の構造

ここで一度、新菜の心の構造を細かく見ておきたい。彼の状態は、よくある「自己嫌悪」とはちょっと違うのだ。

新菜は、自分のことが嫌いなわけじゃない。雛人形作りへの情熱はちゃんと持っているし、祖父への敬意も、自分の仕事への誇りもある。彼は彼として、ちゃんと立っている。

ただ——彼は、自分を「異物」だと納得している。

これがすごく、こわい。

「自分はダメだ」じゃないのだ。「自分はみんなと違う存在だ。だから、住む世界も違う」と、静かに線を引いてしまっている。怒りも悲しみもなく、ただ事実として。

自己嫌悪なら、まだ救いはある。「自分が変わればいい」というベクトルが残っているから。でも「自分は異物」という諦めは、変わる必要すら手放している。世界の側に開く扉を、自分から閉じてしまっている状態だ。

新菜のクラスでの孤独は、誰かに虐められているからじゃない。彼の方が「自分はこの世界の住人じゃない」と決めて、最初から話しかけないでいるからだ。

「気持ち悪い」と言われた経験は、新菜の中で「世界が下した判決」として処理されている。それを覆す根拠を、彼はずっと持てなかった。

 

◆「好き」が殺される現代社会

少し視野を広げてみたい。新菜の物語は特殊なケースに見えて、実はそんなに特殊じゃない。形を変えた「新菜」が、たぶん日本中にいる。

たとえばこんな声がある——「2次元オタクであることや、アイドルが好きなことは、否定されがちな趣味だから言わない。後ろめたいわけじゃないけど、否定されるくらいなら最初から黙ってるほうが幸せ」。これ、まんま新菜じゃないだろうか。

「ディズニーが好き」「カフェ巡りが好き」みたいな"安全な好き"だけ口に出して、本当の「好き」は隠す。それが大人になるってことだと、いつのまにか思い込まされている。

背景にあるのは、社会心理学でいう「同調圧力」だ。みんなと同じであることが正解で、ちょっとでも外れると「変なやつ」のラベルが貼られる。日本に限った話じゃないけど、東アジアのコミュニティ重視の文化では、調和を乱す者は弾かれやすい。

好きなものを否定されるって、想像以上にダメージがでかい。「好きなものを否定されると、心はどっと疲れる。自分が大切にしているものをバカにされるということは、すなわち自分を全否定されているのと同じ」——SNSでよく見るこの感覚、たぶん多くの人が頷く。

「好き」って、その人のいちばん柔らかい部分だ。理屈で選んだものじゃなくて、心が勝手に選んだもの。だからそこを叩かれると、自分そのものを叩かれた気がする。

そして一度叩かれると、人は学習する。「次は言わないでおこう」と。新菜のように極端じゃなくても、僕たちはみんな、自分の中にちょっとずつ「言わない好き」を抱えて生きている。

 

◆海夢という、呪いを解く魔法

そんな新菜の世界に、喜多川海夢が現れる。

金髪のギャル。クラスのカースト最上位。男女問わず人気で、いつも友人の輪の中心にいる。新菜から見れば「住む世界が違う」を絵に描いたような存在だ。

その彼女が、放課後の家庭科室で、新菜が雛人形の衣装を縫っているのを偶然見てしまう。

家庭科室・新菜と海夢の出会い
「え、なにこれ! めちゃくちゃすごいじゃん!!」

新菜は身構える。次に来る言葉は分かっている。これまで何百回も想像してきたから。「男の子なのに人形なんて気持ち悪い」——あの呪いの再演。

でも、海夢はそれを言わない。むしろ「かっこいい」とまで言う。新菜が自分のために雛人形を作っている話を聞いて、目を輝かせて聞き入る。彼女の好きは、自分の好きに対して、最初からまっすぐに開かれている。

そして決定打。海夢は新菜にお願いする——18禁ギャルゲーのキャラのコスプレ衣装を作ってほしい、と。

これがすごい構造になっている。新菜が一生隠してきた「人と違う好き」と、海夢の「人と違う好き」が、ここで初めて対等に並ぶのだ。

新菜が抱えていたのは「自分の好きは異常で、口に出してはいけない」という呪い。海夢は、自分の好きを堂々と語ることで、その呪いの前提を粉々にしてみせた。「好きは隠すものじゃないよ」と、態度でぶん殴ってきた。

このシーンが効くのは、海夢が新菜を「励まそう」としていないからだ。彼女はただ、自分が「好き」と思ったことに「すごい」と言っている。それだけ。でもその「それだけ」が、何年もこびりついていた呪いに、最初のヒビを入れる。

 

◆「思い込み」だった世界

物語が進むにつれて、新菜はもうひとつ大事なことに気づいていく。それは、自分が見ていた世界の冷たさが、実はかなりの部分「思い込み」だった、ということだ。

たとえば学園祭の準備回。新菜は「自分は衣装作りも内装作りも、全部一人でやらなきゃ」と背負い込んでいる。クラスから孤立してると思ってるからだ。

でも蓋を開けてみると、クラスメイトたちは「五条は服を作るから、内装はやらなくていいよ」と気を遣っていた。新菜が思っていたほど、彼は孤立していなかった。むしろ、彼の「特技」をリスペクトする空気が、ちゃんとそこにはあった。

新菜が見ていた「冷たい世界」は、彼自身が「自分は異物だ」という前提で世界を見ていたから、そう見えていただけだった。

幼少期の「気持ち悪い」の一言は、確かに本当の傷だった。でもその傷を「世界はみんなそう思っている」という解釈に育ててしまったのは、新菜自身の防衛反応でもあった。

呪いの怖さは、ここにある。最初は他人がかけたものでも、長く抱えているうちに、自分自身がそれを補強し続けてしまう。世界の冷たさを、自分で確かめないまま信じ続けてしまう。

これは新菜だけの話じゃない。「言ってもどうせ分かってもらえない」「自分の好きは変だから黙っておこう」——そう思い込んで生きている多くの人たちが、本当にそうなのか、確かめないまま閉じこもっていることが、たぶん、ある。

もちろん、確かめにいって痛い目を見ることもある。新菜の幼少期の傷は本当の傷だった。だから簡単に「外に出ろ」とは言えない。でも、海夢みたいな存在が一人いれば、その人の世界はガラッと変わる可能性がある——というのは、この作品が静かに教えてくれる希望だ。

 

◆「好きでいていい」って、誰かに言われないと信じられない

『着せ恋』が多くの人を惹きつける理由は、たぶん、それぞれの読者が自分の中の「新菜」を見つけてしまうからだ。

口にしないでいる「好き」。隠している趣味。「変だと思われそうで言えないこと」。誰にだって、ひとつやふたつあるはずだ。新菜の物語は、それらを抱えてきた自分への、優しい肯定として届く。

個人的には、海夢が「すご!」と言うたびに、ちょっと泣きそうになる。たぶん私の中にも、「すご」と言われたかった子どもの自分が、まだいるからだ。

そして気づくのだ。「好きでいていい」って、実は自分一人ではなかなか信じられない。誰かに言ってもらわないと、心の奥までは届かない。

「好きを好きでいていい」——これって、当たり前のようでいて、実は他者からの肯定なしには成立しない、めちゃくちゃ繊細な感覚なんだと思う。

だからこの作品が静かに伝えていることは、たぶんこういうことだ。世界には、誰かの「好き」を踏みつぶす人もいる。でも、誰かの「好き」を「すごい」と言える人もいる。前者にならず、後者になろう。それだけで、誰かの世界の色が変わるかもしれないから。

「好きなものは好きでいていい」というメッセージは、現代社会の同調圧力の中ではかなりラディカルな主張だ。みんな、無自覚に他人の「好き」を値踏みしている。「それダサくない?」「年齢的にどうなの?」「もっと役に立つことすれば?」——好きを殺す言葉は、空気のようにそこら中に漂っている。

その空気の中で、海夢の「すご!」は救いだ。そして、その「すご!」を誰かに渡せる人になれるかどうかは、僕たち一人ひとりの態度の問題でしかない。

新菜が雛人形作りを誇れるようになったように、僕たちも、自分の「好き」をちゃんと胸に抱える日が来るといい。そしてその前に——隣にいる誰かの「好き」に、「いいね」と言える人でありたい。

たぶん、それだけが、誰かを呪いから解く魔法なのだ。

 

※ClaudeAIにて生成した結果、一部使用

 

【雑記】AIに「FRUITS ZIPPER」と「CANDY TUNE」と「CUTIE STREET」と「SWEET STEADY」と「超ときめき♡宣伝部」の違いを聞いた。

「FRUITS ZIPPER」

youtu.be

 

「CANDY TUNE」

youtu.be

 

「CUTIE STREET」

youtu.be

 

「SWEET STEADY」

youtu.be

 

「超ときめき♡宣伝部」

youtu.be

 

この違いがアラフォーにもなったおじさんには全くわからない。全部同じ顔に見えるし見分けがつかない。そんなわけでAI(Claude)に聞いてみたら解決できるんじゃないか?と聞いてみた結果を共有します。

あ、でも、オタクだからアイドルマスターのミリオンライブ! シアターデイズ、 シンデレラガールズ スターライトステージ、シャイニーカラーズ、学園アイドルマスターの違いはわかる。

 

 

「FRUITS ZIPPER」と「CANDY TUNE」と「CUTIE STREET」と「SWEET STEADY」と「超ときめき♡宣伝部」の違いを教えて

ネットでも「全部同じに見える」と話題になるくらい混乱しやすいジャンルです。

見分けるコツとして、
人数で絞ると、6人なら確実に超ときめき♡宣伝部、8人ならCUTIE STREET、7人ならFRUITS ZIPPER・CANDY TUNE・SWEET STEADYのどれかになる。
7人の3グループの見分けは正直ファン以外には難易度高めで、「全部FRUITSZIPPERに聞こえる」という声がネット上でも多数あります。同じプロデューサー・同じ事務所なので似るのは必然ともいえます。

 

ほうほう。人数で絞れるのか。確かにジジイでも人の数は数えられる。これで「超ときめき♡宣伝部」と「CUTIE STREET」は確実にわかりますね。でも問題は7人で被っている「FRUITS ZIPPER」「CANDY TUNE」「SWEET STEADY」になる。その違いをさらに深堀りしていく。

 

FRUITS ZIPPER・CANDY TUNE・SWEET STEADYの見分け方を教えて

この3グループは同じ事務所で同じプロデューサー、コンセプトも非常に酷似しており、一般人が見分けることはまず不可能と言われるレベルの難問です。

曲で覚えるのが一番の近道です。

「わたしの一番かわいいところ」「ね!ね!ね!」 → FRUITS ZIPPER
「倍倍FIGHT!」「きゅきゅきゅキュート」 → CANDY TUNE
「なんてねっ!」「Call me, Tell me」 → SWEET STEADY

 

はー????????曲も全部一緒に聞こえるんだよ。ジジイの耳舐めるな!!!!!!ヨルシカ・YOASOBI・ずとまよ、ごちゃごちゃになってるジジイだぞこっちは!!!!

 

他に見分ける方法ない?

メンバーカラーで見分ける
注目すべきは「黄色メンバーがいるかどうか」で、FRUITS ZIPPERには黄色担当(早瀬ノエル)が存在するが、CANDY TUNEには黄色メンバーがいない。 Shoe-collection
つまり…
黄色の子がいる → FRUITS ZIPPER
黄色の子がいない → CANDY TUNE か SWEET STEADY
SWEET STEADYは3グループの中で知名度が最も低く、テレビやSNSで見かける機会自体が少ないため、「黄色がいなければCANDY TUNE」と判断してもほぼ外れない現実があります。

 

あれ、君今、さらっとひどいこと言ったね?とりあえず、これで「FRUITS ZIPPER」は分かった。7人組で黄色がいたら「FRUITS ZIPPER」覚えておこう。

「CANDY TUNE」と「 SWEET STEADY」が難問なんだな。聞いてみよう。

 

CANDY TUNE と SWEET STEADYの見分け方は?

唯一の違いは7人目のカラー。

CANDY TUNEの7人目 → 青
SWEET STEADYの7人目 → 黄色

つまりFRUITS ZIPPERとCANDY TUNEの見分け方と同様、黄色メンバーがいるかどうかが鍵になります。黄色の子がいればSWEET STEADY、いなければCANDY TUNE。 Shoe-collection

実態として
KAWAII LAB.の4グループの中で知名度が最も低いのがSWEET STEADYで、人気とかの前にそもそも知名度がない状態です。 Modified
テレビやSNSで流れてきた場合、SWEET STEADYである確率はかなり低いので、「黄色がいなければCANDY TUNE」と判断してほぼ問題ないというのが現実的な結論です。

 

あれ、さっき黄色いなければ、 「CANDY TUNE」と「 SWEET STEADY」って言ってたけど違うぞ、、、もう一回聞いてみよう。

 

「FRUITS ZIPPER」「CANDY TUNE」「SWEET STEADY」のメンバーカラーから違いを教えて

見分けのポイントまとめ
黄色がいる → FRUITS ZIPPER か SWEET STEADY
  └ 赤もいる → SWEET STEADY
  └ 赤がいない → FRUITS ZIPPER

黄色がいない → CANDY TUNE

 

これだよこれ!!!!!!!!!!!!これを知りたかった!!!!!!!!

 

まとめると6人なら「超ときめき♡宣伝部」、8人なら「CUTIE STREET」

7人で黄色と赤がいるのが「 SWEET STEADY」、黄色がいて赤がいないのが「FRUITS ZIPPER」、黄色がいないのが「CANDY TUNE」こういうことだな!!!

AIはややこしいアイドルの見分け方もできるんだ。そんな発見をしたひとときでした。

 

そんなかんじで。

おしまい。

『違国日記』~笠町って、本当に「いい男」なのか~

笠町信吾、好感度高い。

槙生の元カレなのに、別れたあとも友人として関係が続いてる。すき焼きの肉を手土産にひょっこり訪ねてきて、深夜の電話にも穏やかに付き合う。感情を押しつけず、距離感もちょうどいい。求められれば来るし、求められなければそっと引く。視聴者・読者の間で「理想の男」として語られることもしばしばだ。

でもこの記事で立ち止まりたいのは、その「好感度」の正体について。

笠町への称賛、本当にフェミニズム的に肯定していいやつなのか。「都合のいい男」という言葉の奥には、もう少しややこしい構造が潜んでないか——という話だ。

ヤマシタトモコ自身、笠町を意図的に「新しい男性像」として設計したと語っている。その意図を踏まえた上で、あえて少し意地悪な角度から読んでみたい。

 

◆「都合のいい男」とは何か

「都合のいい男」って、ふつうはネガティブな言葉だ。女性の都合に合わせて動き、感情的な要求を満たしながら、自分の主張は控えめ——みたいな男性像。「いい人すぎて恋愛対象にならない男」を指す俗語としてもおなじみ。

でもこの言葉、フェミニズムの文脈に置くと、少し違う輪郭が見えてくる。

従来の「有害な男性性」——感情を抑え込み、支配的で、暴力性を誇示するマッチョイズムへの批判が高まる中、そのアンチテーゼとして登場したのが「理解ある男性」「ケアする男性」だ。感情労働を引き受け、弱さも認め、相手の気持ちに寄り添う。これは確かに、旧来の毒ある男性性からの解放を意味している。

ただ、ここからが厄介で。「理解ある男性」が女性の周囲に存在し続けることで、何かが起きているとしたら? 「女性を傷つけない男性」が、いつのまにか「女性に必要とされる男性」へとすり替わるとき、そこには新しい形の依存構造が生まれるかもしれない。

「都合のいい男」の問題は、悪意があるかどうかじゃない。むしろ善意であればあるほど、女性の自律した感情処理に、気づかぬまま入り込んでいく——その構造のほうにある。

笠町信吾は、まさにこの問いの体現者だ。

 

◆笠町の行動を三層に分解する

笠町の行動をフラットに観察すると、だいたい三つの層に分けられる。

第一層と第二層は、わりと素直に評価していい。自分の感情を押しつけず、相手の領域を尊重する——これはケアの倫理として、ちゃんと褒められる態度だ。

問題は第三層。

アニメ第4話、笠町は槙生のマンションを訪ねた帰り際、朝にこっそり打ち明ける。「ちなみに、今日は君に挨拶しがてら、彼女の様子を探りにきた秘密だよ」。茶目っ気たっぷりに、口元に指を当てながら。視聴者から見ればチャーミングなシーンだ。

でも、ちょっと待ってほしい。ここには「監視」の構造がある。本人ではなく第三者にだけ「様子を探りにきた」と打ち明けることで、槙生は自分が観察されていることを知らない。善意の視線は、知らないうちに降ってきている。

第6話。槙生が「自分には助けてもらう価値なんてない」と思い込んでいるところに、笠町がさりげなく手を差し伸べる。本人が求める前に動くこの行為は、見た目はとても優しい。でも、女性が「助けを求める/求めない」を自分で決める前に、男性側が先回りする——それは善意であっても、構造的には「管理」の一種と読めなくもない。

そして深夜の電話。槙生が「寂しいってどんな時に感じる?」と問いかけてくる相手として機能する笠町は、彼女の感情的な問いにいつでも応答できる存在だ。それは槙生にとって確かに救いだろう。でも見方を変えれば、「槙生の感情的自律を外部に委ねるための回路」が、笠町という存在によって維持されているとも言える。

 

◆「えみりの母」との非対称

アニメの考察文の中に、鋭い対比を持ち込んだものがある。第4話で、えみりの母は「善意の侵入者」、笠町は「理解ある部外者」として対比的に描かれている、という指摘だ。

確かに、えみりの母の介入は不躾で一方的。槙生の生活スタイルや価値観をろくに理解せず踏み込み、その場の文脈を無視した善意を押しつける。一方の笠町は、槙生の特性を深く理解した上で接する。結果として槙生は、笠町には心を許し、えみりの母には距離を置く。

この対比は視聴者の直感に強く訴えてくる。「理解のある干渉」と「理解のない干渉」——確かに、体験としては質的にまるで違う。

ここで気をつけたいのは、槙生が笠町の介入に「気づいていない」場面が結構ある点だ。えみりの母の侵入は、はっきり槙生を不快にさせるから、槙生はそれを認識して距離を取れる。でも笠町の場合、「様子を探られていた」事実そのものを、槙生は知らないままだ。知らずに恩恵を受けている——これってフェミニズム的に言えば、「同意なきケア」の一形態に近いんじゃないか。

善意の干渉が問題化されるのは、それが悪意だからじゃない。当事者が気づかないほど自然に、女性の感情的自律のすぐ隣に組み込まれてしまうからだ。

 

◆作者の意図と受容の乖離

ここで一度、ヤマシタトモコ自身の言葉に立ち戻りたい。

作者は花椿HANATSUBAKIのインタビューで、笠町と塔野を「ホモソーシャルの枠に入れなかった、あるいはそこから降りた男性たち」として設計したと明かしている。「弱さを受け入れているとか、弱いくらいに優しいとか、そういう印象を与えるような行為や性質が好ましい男らしさ」——意図的に「新しいカッコよさ」を提示したのだ。

さらに踏み込んで、こうも言っている。「フェミニズムは女性だけのものではない。フェミニズムは男性を抑圧から解放するきっかけでもある。男性読者にも物語の中のどこかに自分を見つけてほしい」。

これは誠実な言葉だ。作者がフェミニズムを真剣に意識しながら笠町を描いたことは、疑いようがない。

でも、ここで問いたいのはまさにこの点だ——「新しい男性像を提示すること」と「女性の自律を本当に支持すること」は、本当に同じことなのか?

「男性性の呪縛から降りた男」は、たしかに有害な男性性からの解放を体現する。でも彼が女性の傍に「理解ある存在」として在り続けることで、女性側はその関係を手放しにくくなってしまう。「私を理解してくれる男性がいる」という状況は、女性の孤立を防ぐと同時に、「理解ある男性なしで感情を処理する自律」を発達させる機会を奪うかもしれない。

つまり——「新しい男性像」の提示は、男性の解放には資する。でも女性の解放、特に感情的な独立と自律にとっては、必ずしも同じ方向を向いていない可能性がある。

ヤマシタトモコの意図を批判したいわけじゃない。むしろ、その誠実な意図を持った作品ですら、こうした構造的な問いを呼び込む——その射程の広さこそが、フェミニズム批評の本領なのだ。

 

◆槙生は笠町を必要としているのか

もうひとつ、根本的な問いを置いておきたい。槙生は本当に笠町を「必要」としているのか。それとも、ただ「慣れ親しんでいる」だけなのか。

槙生は人見知りで、他者との接点をできるだけ減らして生きたいタイプだ。なのに、笠町との関係はずっと続いている。これは槙生が積極的に選んだ関係なのか、それとも笠町が絶妙な距離感を保つことで「出ていけない関係」をつくり出しているのか。

深夜に「寂しいってどんな時に感じる?」と電話をかけてしまう槙生の姿は、多くの視聴者の目に「不器用な成長」として映ったはずだ。それは確かにそうだと思う。他人に助けを求めるのが苦手な槙生が、自分から連絡を取る——これは紛れもなく変化の証だ。

でも、なぜその電話の相手が笠町でなきゃいけないのか? そこには「笠町はいつでも応じてくれる」という信頼——いや、依存——が前提として置かれている。槙生が「感情について他者に問いかける」ことを初めて実践できたのは、笠町という受け皿があったからだ。

これを「関係性の成熟」と読むか、「男性への感情的依存の固定化」と読むか。ここはもう、見方によって大きく分かれる。

物語の終盤、笠町と槙生は「新しい関係」へと進んでいく。形がどうあれ、作品はその関係を肯定的に描く。読者・視聴者にとっても、感情的にはちゃんと納得できる着地だ。

厄介なのはここで——「感情的に納得できる」ことと、「フェミニズム的に問いがない」ことは、別の話だという点だ。私たちが二人の関係を「いい話だなあ」と受け取るとき、その「いい話」の前提に何が埋まっているかを問う。これって、批評の最も基本的な仕事だと思う。

 

◆称賛と批判の両立——この曖昧さが作品の誠実さだ

ここまで書いてきたことを、「だから笠町は問題のあるキャラクターだ」という結論に落とすつもりはない。

笠町信吾は、本当に丁寧に描かれた人物だ。有害な男性性から距離を取り、感情労働を担い、女性の領域を尊重しようとしている。こういう男性が現実に増えていくこと自体は、社会的には間違いなく望ましい変化だ。

ただ、フェミニズムが問うのは個人の道徳じゃなく、構造のほうだ。笠町という個人を裁くんじゃなくて、「理解ある男性を称賛することで、女性の感情的自律の話が、男性との関係性に回収されちゃってないか?」——そういう構造的な問いを立てること。それがフェミニズム批評の役割だと思う。

『違国日記』は、答えを与えない作品だ。作者自身、「コミュニケーションが成立するとは全く思っていない。その差をどう埋めていくかみたいな話をずっとやっている」と語っている。笠町と槙生の関係もまた、「埋まらない差を抱えたまま続く関係」として描かれている。

笠町への称賛も、批判も、どちらも正しい読みだ。彼は確かに「新しい男性像」であり、同時に「女性の自律に対する善意の干渉者」でもある。両面を同居させたキャラクターとして描かれているからこそ、このアニメは単なる「いい話」を超えて、見る者に複雑な問いを残す。

「都合のいい男」とは何か。その問いに一つの答えを出してしまうんじゃなく、言葉の内側にある複数の層を見つめること。笠町信吾というキャラクターは、その問いを考えるための、極めて誠実な素材だ。

フェミニズムは「正解」じゃなく「問い」だ。そして『違国日記』は、その問いを静かに、でも確実に、私たちの手元に置いていく。

 

※ClaudeAIにて生成した結果、一部使用

【雑記】ClaudeCodeでビットコインの自動売買ツールを作った②

AI遊びたのしくてClaudeくん、年額課金しちゃった。ビットコイン売買AIくん、作り始めて数週間たち、色々機能とかを整理できましたので、ここにまとめておきます。

 

◆概要

使用する証券会社はGMOコインのレバレッジ取引を使用。

Pythonにて実装。(公式ドキュメントを参照し、ClaudeCodeに書いてもらいました。)

1時間ごとに実行され、指標をGMOAPIを利用し取得。プログラム側で取りまとめた指標をClaudeAPI(AI)に渡し、渡した指標からAIがロング・ショート・ホールドをプロンプト側に返す。

取引をした際や日次・週次・月次でLINEに自動通知。

 

●前回のエントリ

kuramu1015.hatenablog.com

 

 

◆トレード指標

ClaudeAPIに渡している指標は以下の通り。

 

◆プログラム設計

プログラムとしてフォローできる機能は以下のような感じで実装。

 

◆ディレクトリ構成

ファイルのディレクトリは以下のような感じで管理。

 

◆トークン数

ClaudeConsoleで確認している1回当たりのトークン数は以下のような感じ。

10ドルで1か月弱は使える想定。

◆今後

ここにくるまで2週間弱かかりました。

流石に調整ガリガリやってたときのログを計測するのは面白くないので、安定し始めた5月の1か月で計測してみて、結果をブログにまとめる予定です。

恐らくClaudeAPIも5月いっぱいまでは保ってくれるんじゃないかな。

 

本気でやれるなーって思ったら取引間隔を1hにするんじゃなくて15分間隔にして指標もそれに合わせる。投資金額を10倍にする。ぐらいにしてみる感じでしょうか。でもそこまではやらないかな~って温度感です。

もし作ったソースコードがほしい人いたらXで連絡くれたら、丸ごと上げるので動かしてみてください。GMOとLINE、ClaudeAPIさえ取得したらすぐ使えます。

 

そんなかんじで。

おしまい。

 

『超かぐや姫!』~「解像度が高い」とはどういうことか~

VTuberオタクたちが、口を揃えて言った。「解像度が高すぎる」と。

Netflixアニメ映画『超かぐや姫!』(監督:山下清悟、2026年1月配信)。仮想空間〈ツクヨミ〉を舞台に、ライバーとして活動するかぐや姫と、彼女をプロデュースする女子高生・酒寄彩葉の物語だ。ボカロ、VTuber、推し活、UGCクリエイター文化。ネットカルチャーのど真ん中を題材にしている。

これまでの「サブカル題材アニメ」と何が違うのか。題材の扱いが、とにかく正確なのだ。当事者が「あるある」と感じる作品は珍しくない。でも「解像度が高い」はそれより一段上。「これ、わかってる人が作ったやつだ」という、ある種の信頼が込もった言葉になる。

では、何がズレていなかったのか。どんな技で当事者に「本物」と感じさせたのか。ちょっと分解してみたい。

 

◆「ズレた描写」とは何か

「解像度が高い」を語るなら、まず「解像度が低い」描写を押さえておきたい。

ネット文化を題材にした映画やドラマって、実はそこそこある。でもそのほとんどが、当事者から「なんか違う」と言われ続けてきた。なぜか。

典型的なズレは三つ。ひとつ目、「単語は合ってるけど文脈がズレてる」。「バズった」「炎上した」とは言うが、描き方が実態とどこか噛み合わない。ふたつ目、「表層は合ってるけど温度感がズレてる」。VTuberが出てくるのに、その振る舞いが「一般人がイメージするアバター」止まりで、実際のVTuberっぽさがない。三つ目は「説明しすぎ」。住人なら当たり前のことをわざわざ解説してしまうことで、外から覗いてる視線が透けて見えてしまう。

『超かぐや姫!』への「解像度が高い」評価は、当然この右側にあたる。じゃあ具体的にどのシーンで、どんなふうに、それが実現されてるのか。

 

◆「顔バレ初配信」という一点突破

まずは一番象徴的なシーンから。かぐやのライバーデビューだ。

VTuberの「デビュー配信」って、半分儀式みたいなものだ。普通はアバターをまとって登場し、「中の人」の素顔は明かさない。それがVTuber文化のお約束。

ところがかぐやは、初日からやらかす。ペイントで描いたみたいな雑な画面から、突然インカメに切り替えて、ぽろっと顔を出す。いわゆる「顔バレ」。劇中の視聴者は熱狂する。

このシーンが「解像度が高い」と言われたのは、「顔バレ」の意味をちゃんと掴んでいるから。VTuberオタクの間には「隙」という概念がある。アバターの裏の「中の人」がふっと見える瞬間。それは失敗でも失態でもなく、むしろファンが愛でる瞬間なのだ。「隙、見せてくれた」という親密感。「レアな瞬間に立ち会ったぞ」という高揚感。かぐやの顔バレは、そういう「隙」の感情的な意味をわかった上で描かれている。

 

●解像度の具体的根拠

「顔バレ」は表面的には「失敗」に見える。でも文化的にはそうとも限らない。むしろ意図的に「隙を見せる」ことで親密感を演出するVTuberもいる。映画はその逆説を理解している。「破天荒な新人がうっかり顔出ししちゃった」という文脈で、当事者が「そうそう、こういうやつ!」と頷く温度感を再現してみせた。

もしズレた作品だったら、顔バレを炎上事件にするか、ただのギャグで終わらせていたはずだ。

 

◆「ブラックオニキス」という男性グループの設計

ライバルの男性ゲーマーグループ「ブラックオニキス(通称:黒オニ)」の設計も、相当わかってる人が作っている。

メンバーは三人。オラついてるけどファンサは旺盛なイケメン。寡黙だけど、ふとした瞬間に天然がにじむイケメン。あざと系ナルシストの女装少年。

この三人組を見た瞬間、VTuber・ストリーマー文化に詳しい人なら一瞬でわかる。「これ、絶対人気出るやつ」。グループ名と人物紹介だけで、女性ファンが多そうなコンテンツだなと察しがつく。

「黒オニ」という愛称もズルい。「ブラックオニキス」を縮めただけなのに、なんとも自然なのだ。公式が無理やり考えたんじゃなくて、ファンが自分で呼び始めたみたいに見える。こういう細部が、「外から観察した」描写と「中から作った」描写の決定的な差を生む。

メンバー構成を見ただけで「客層」がわかること——それはキャラクターを「記号として設計している」のではなく、「人気が生まれる構造を理解した上で設計している」ということだ。

三人それぞれが、ストリーマー界隈で実際に見るタイプをきちんとベースにしている。ファンサ旺盛なオラつき系、天然がチャームポイントの寡黙系、あざと系の女装少年。それぞれ独立したファン層を持つタイプで、三人揃えれば幅広く刺さる。リアルのマルチキャストVTuberグループでよくある勝ちパターン、そのものだ。

◆「嫌な生々しさ」を排除する技術

ネット文化を描くとき、いつも難しいのが「どこまでリアルに描くか」だ。

VTuberや配信文化には、正直しんどい部分もある。課金を煽る配信者、タレントを使い倒す運営、誹謗中傷、炎上。全部含めて描けば「リアル」にはなる。でも映画として成立させるなら、どこかで選ぶしかない。

この映画の答えは、「嫌な生々しさは抜く。文化の温度感は残す」だった。

もちろん、この選択には批判もありえる。「現実の問題を美化してる」という見方だ。実際、一部のファンからその指摘もあった。ただ、これは映画としての判断であり、技術的にもなかなか難しい芸当だと思う。「嫌な部分を抜きつつ、温度感だけは残す」って、嫌な部分が何かを深く知ってないと絶対できない。個人的には、この取捨選択の精度こそ、この映画の一番すごいところだと感じた。

捨てるものを知るには、拾うべきものを知らなきゃいけない。この映画の作り手は、両方ちゃんと知っていた。

 

◆ボカロ曲の「押しつけなさ」

この映画のもう一つの核は、ボカロ曲の使い方だ。ryo(supercell)の「ワールドイズマイン」「メルト」、kz(livetune)の「Tell Your World」、40mPの「トリノコシティ」——2000年代後半から2010年代を彩った名曲たちが、現代的なアレンジで流れる。

こういうとき、よくやらかすのが「懐かしいでしょ?」の押し売りだ。往年のヒット曲を使って、「あの頃を思い出してね」と感傷を煽る。これは要するに「ノスタルジー消費」で、文化を素材として消費しているのと同じだ。

でもこの映画はそこをスッと避けた。各楽曲はストーリーに沿って配置されていて、「懐かしい曲」じゃなく「今このシーンの感情を表す歌」として鳴っている。ボカロファンは「あ、あの曲だ」と気づきながら、同時にその曲が新しい意味を持つ瞬間に立ち会うことになる。

 

●「Tell Your World」という選曲の意味

kzが2013年にGoogle Chromeのグローバルキャンペーン用に書いた「Tell Your World」は、ボカロコミュニティ全体への讃歌として語り継がれている曲だ。「たくさんの点が線になって遠く彼方へと響く」——あの歌詞には、ネット上でばらばらに活動するクリエイターたちへの優しい眼差しがある。

だからこの選曲は、「懐かしいボカロ曲」を超えた重みを持つ。クリエイターとファンがつながることへの肯定、「世界中とつながれた」感覚の再現。映画が描こうとしているものと、歌詞の意味が深いところで響き合っている。そこまで知った人が選んだんだな、と素直に思える。

 

◆技法の総括

ここまで見てきた内容をもとに、『超かぐや姫!』がインターネット文化描写のズレを回避するために用いた技法を整理しておく。

 

◆「愛を持って描く」とはどういうことか

『超かぐや姫!』への評価で、よく「愛を持って描かれている」という言葉が出てくる。でも、この「愛がある」って、具体的にどこから来てるんだろう。

ネット文化を題材にした作品が「ズレてる」と感じられるとき、その根っこにあるのは「素材として消費されてる」という感覚だ。文化の住人は、自分たちの日常が「面白ネタ」として切り取られることに慣れていて、同時にそれを不快に感じる場面も少なくない。

「愛がある」とは、消費じゃなくて敬意の感覚なんだと思う。「面白い素材として使う」のではなく、「この文化が持っている固有の価値を、ちゃんとわかった上で描く」こと。これは技術的な正確さとはちょっと違う次元の話だ。知識があっても愛がなければ、当事者にはバレる。

この映画の「愛」は、具体的な選択として現れている。ボカロPたちへの楽曲提供の依頼、VTuberの活動様式を「研究」じゃなくて「体験」した形跡のある描写、そして「嫌な部分」を描かないという思い切り。文化を美化したかったわけじゃなく、「インターネットが本当に誰かの居場所になりうることを描きたかった」——そういう意図が透けて見える。

かぐや姫は、自分らしく生きられなかった存在として古来から語られてきた。その彼女が、アバターをまとい、名前を変え、「本当の自分」として振る舞える現代のネット空間に降りてくる。この組み合わせがちゃんと機能するのは、「バーチャルでこそ本当の自分でいられる」というネット文化の核心を、作り手が肌でわかってるからなんだろう。

「解像度が高い」って言葉は、技術への称賛であると同時に、「わかってくれてる」という安堵の表明でもある。インターネット文化を長く生きてきた人間が、自分たちの居場所がちゃんと描かれていると感じる瞬間。それがこの映画の、最も静かで深い達成だと思う。

 

※ClaudeAIにて生成した結果、一部使用

【雑記】ClaudeCodeでビットコインの自動売買ツールを作った

ずっと気になっていたので、ClaudeCodeのプロに1か月課金をして遊んでいます。その中でふと誰もが思いつくクリプト系のツールが出来たら面白そうだなとやってみました。

 

◆やってみたこと

株は条件や考える事が多いのでシンプルに考えられる、暗号通貨であるビットコインの売買をツール化してみようと思いました。固定ルール(BOT)での取引は面白くないので、ClaudeAPIを使って、取引の判断はClaude(Sonnet4.6)に委ねる形でアプリケーションを実装しました。ついでにLINE(Messaging API)を利用して取引が成功した時、日次、週次でレポートが届くように実装も行いました。

実装にあたってはClaudeCodeにイメージしている事を自然言語で渡したり相談しながら機能を実装していきました。大体1時間くらいで出来ましたね。

あと今回の取引のためにAPIが使えるGMOコインに口座を開きました。bitFlyerとCoincheckにも口座持っていて開設した時、色々と手続きめんどくさかったイメージだったんですけど、すんなりと開設できたのも驚きでした。

 

◆ClaudeAPIのトークン数について

今のところ1時間に1回上記の処理が走るようになっていて、その1回のトークン数は2400ぐらいです。ClaudeAPIには10ドルほど課金していて今のところ2か月は確実に動作することが確認出来ています。

相場レンジスキップ機能も実装していて短期MAと長期MAの乖離率を計算し、閾値未満なら Claude API を呼ばずに即 HOLD を返す事でAPIを呼ぶ事の節約を図っています。それによってはもう少し長期間、10ドルで動かすことができるかも知れません。

ClaudeAPIくんが渡してくれる取引の判断理由のメッセージが面白くて、削ったりすることができるのだけど、それ読むのが今回の醍醐味でもあるので、そこは削らないで行ってます。1時間おきに以下のようなメッセージを送ってくれます。

デッドクロス16本継続で下降トレンド優勢だが、直近1時間+0.56%反発。短期MAと長期MAの乖離が約5,500円と縮小傾向で方向感不明瞭。レンジ中央付近での推移のため様子見。

 

◆ディレクトリ構成

こんな感じにしています。だいたいClaudeCodeくんがやってくれました。

crypto-agent/
├── .env                        # APIキー等の環境変数
├── .gitignore
├── config.yaml                 # 設定ファイル
├── main.py                     # エントリーポイント
├── requirements.txt            # 依存パッケージ

├── data/
│   └── fetch_ohlcv.py          # GMOコインからOHLCV取得

├── logs/
│   ├── position.json           # 現在のポジション(永続化)
│   └── trades.csv              # 取引履歴ログ

├── notifier/
│   └── notifier.py             # LINE 通知

├── strategy/
│   └── claude_agent.py         # Claude APIシグナル生成(メイン戦略)

└── trader/
    └── live_trader.py          # GMOコインへ実注文・ポジション管理

 

◆1か月1万円で運用してみる。

4/15日を基準として1か月、1万円でビットコイン(FX)の取引をしてみることにします。目標はClaudeAPIの10ドル(TAX入れて11ドル)を回収することです。

結果は1ヶ月後にビットコインの実際のチャートとぼくの動かしたツールの週ごとの収支とかでもまとめて、またブログに書こうかな~って思っているので、興味がある人はよければみてください。

 

◆これでこなれたら

色々思いつた事を実装していったり、最適化もここからやっていくと思うので、これでいい勉強になったら株にも挑戦してみたいですね。コストは掛かるんだけれども、取引を判断するエージェントとそれを承認するエージェントを作ってマルチエージェントとかでやると面白そうだなーって月並みですが考えています。ただ、そこまでやるとコスト回収できるほどの資金が用意できないので、リサーチ程度に留めるのがいいかもしれませんね。もう少し遊びつつ、勉強しつつやっていこうと思います。

ClaudeCodeほんとうに便利すぎて楽しすぎて、まだ1か月課金終わっていないのにClaudeCodeなしの生活はもう考えられねぇ⋯⋯。年額課金しちゃおうかなー。

 

そんなかんじで。

おしまい。