
「気持ち悪い」。
たった六文字。たった一回の発音。でもこの言葉は、人の人生を一生縛り続けるだけの呪いを持っている。
『その着せ替え人形は恋をする』の主人公・五条新菜は、子どものころ、仲のよかった女の子にこの言葉を投げつけられた。「男の子なのに雛人形が趣味なんて気持ち悪い」と。それで絶交。彼女は彼の前から去っていった。
たぶん言った本人は、何年か経ったらもうそんな発言したことすら忘れているはずだ。よくあることだから。子どもの言葉なんて、と。
でも、言われた側は忘れない。新菜はその一言で、自分の「好き」を一生隠して生きる人になった。
この記事で書きたいのは、五条新菜という男の子の話を入り口に、「好きを押し殺される現代社会」について考えてみたい、ということだ。彼の傷は、たぶん多くの人が形を変えて持っているものだから。
◆「呪い」が始まった日
新菜は、雛人形の頭師——人形の顔を作る職人——を目指す高校生だ。実家は岩槻の老舗人形店「五条人形店」。雛人形職人の祖父と、二人で暮らしている。
身長は185cmを超える大柄な体格。なのに自己評価は地を這うように低く、引っ込み思案で、自己主張はおそろしく苦手。クラスでは浮いていて、友達もいない。
原因はたったひとつ。子どものころ、自分の「好き」を否定されたことだ。
回想シーン・幼少期の新菜と、近所の女の子
「男の子なのに、人形が好きなんてキモチワルイ。」
そう言われて、彼女は新菜の前から消えた。
このシーン、漫画でもアニメでもけっこうあっさり描かれる。でも、ここで起きたことの重さはとんでもない。
新菜にとって雛人形は、ただの趣味じゃない。祖父の仕事への憧れであり、家族そのものへの愛情であり、彼が彼であるための核みたいなものだった。それを「キモチワルイ」と切って捨てられた。しかも、好きだった女の子に。
その日から、新菜の中である回路が出来上がる。「自分の好きなものを口にすると、人は離れていく」「だから黙っているしかない」。
これが、何年も何年も、彼を縛り続ける。
◆自己嫌悪じゃない、という独特の構造
ここで一度、新菜の心の構造を細かく見ておきたい。彼の状態は、よくある「自己嫌悪」とはちょっと違うのだ。
新菜は、自分のことが嫌いなわけじゃない。雛人形作りへの情熱はちゃんと持っているし、祖父への敬意も、自分の仕事への誇りもある。彼は彼として、ちゃんと立っている。
ただ——彼は、自分を「異物」だと納得している。
これがすごく、こわい。
「自分はダメだ」じゃないのだ。「自分はみんなと違う存在だ。だから、住む世界も違う」と、静かに線を引いてしまっている。怒りも悲しみもなく、ただ事実として。
自己嫌悪なら、まだ救いはある。「自分が変わればいい」というベクトルが残っているから。でも「自分は異物」という諦めは、変わる必要すら手放している。世界の側に開く扉を、自分から閉じてしまっている状態だ。
新菜のクラスでの孤独は、誰かに虐められているからじゃない。彼の方が「自分はこの世界の住人じゃない」と決めて、最初から話しかけないでいるからだ。
「気持ち悪い」と言われた経験は、新菜の中で「世界が下した判決」として処理されている。それを覆す根拠を、彼はずっと持てなかった。
◆「好き」が殺される現代社会
少し視野を広げてみたい。新菜の物語は特殊なケースに見えて、実はそんなに特殊じゃない。形を変えた「新菜」が、たぶん日本中にいる。
たとえばこんな声がある——「2次元オタクであることや、アイドルが好きなことは、否定されがちな趣味だから言わない。後ろめたいわけじゃないけど、否定されるくらいなら最初から黙ってるほうが幸せ」。これ、まんま新菜じゃないだろうか。
「ディズニーが好き」「カフェ巡りが好き」みたいな"安全な好き"だけ口に出して、本当の「好き」は隠す。それが大人になるってことだと、いつのまにか思い込まされている。
背景にあるのは、社会心理学でいう「同調圧力」だ。みんなと同じであることが正解で、ちょっとでも外れると「変なやつ」のラベルが貼られる。日本に限った話じゃないけど、東アジアのコミュニティ重視の文化では、調和を乱す者は弾かれやすい。

好きなものを否定されるって、想像以上にダメージがでかい。「好きなものを否定されると、心はどっと疲れる。自分が大切にしているものをバカにされるということは、すなわち自分を全否定されているのと同じ」——SNSでよく見るこの感覚、たぶん多くの人が頷く。
「好き」って、その人のいちばん柔らかい部分だ。理屈で選んだものじゃなくて、心が勝手に選んだもの。だからそこを叩かれると、自分そのものを叩かれた気がする。
そして一度叩かれると、人は学習する。「次は言わないでおこう」と。新菜のように極端じゃなくても、僕たちはみんな、自分の中にちょっとずつ「言わない好き」を抱えて生きている。
◆海夢という、呪いを解く魔法
そんな新菜の世界に、喜多川海夢が現れる。
金髪のギャル。クラスのカースト最上位。男女問わず人気で、いつも友人の輪の中心にいる。新菜から見れば「住む世界が違う」を絵に描いたような存在だ。
その彼女が、放課後の家庭科室で、新菜が雛人形の衣装を縫っているのを偶然見てしまう。
家庭科室・新菜と海夢の出会い
「え、なにこれ! めちゃくちゃすごいじゃん!!」
新菜は身構える。次に来る言葉は分かっている。これまで何百回も想像してきたから。「男の子なのに人形なんて気持ち悪い」——あの呪いの再演。
でも、海夢はそれを言わない。むしろ「かっこいい」とまで言う。新菜が自分のために雛人形を作っている話を聞いて、目を輝かせて聞き入る。彼女の好きは、自分の好きに対して、最初からまっすぐに開かれている。
そして決定打。海夢は新菜にお願いする——18禁ギャルゲーのキャラのコスプレ衣装を作ってほしい、と。
これがすごい構造になっている。新菜が一生隠してきた「人と違う好き」と、海夢の「人と違う好き」が、ここで初めて対等に並ぶのだ。
新菜が抱えていたのは「自分の好きは異常で、口に出してはいけない」という呪い。海夢は、自分の好きを堂々と語ることで、その呪いの前提を粉々にしてみせた。「好きは隠すものじゃないよ」と、態度でぶん殴ってきた。
このシーンが効くのは、海夢が新菜を「励まそう」としていないからだ。彼女はただ、自分が「好き」と思ったことに「すごい」と言っている。それだけ。でもその「それだけ」が、何年もこびりついていた呪いに、最初のヒビを入れる。
◆「思い込み」だった世界
物語が進むにつれて、新菜はもうひとつ大事なことに気づいていく。それは、自分が見ていた世界の冷たさが、実はかなりの部分「思い込み」だった、ということだ。
たとえば学園祭の準備回。新菜は「自分は衣装作りも内装作りも、全部一人でやらなきゃ」と背負い込んでいる。クラスから孤立してると思ってるからだ。
でも蓋を開けてみると、クラスメイトたちは「五条は服を作るから、内装はやらなくていいよ」と気を遣っていた。新菜が思っていたほど、彼は孤立していなかった。むしろ、彼の「特技」をリスペクトする空気が、ちゃんとそこにはあった。
新菜が見ていた「冷たい世界」は、彼自身が「自分は異物だ」という前提で世界を見ていたから、そう見えていただけだった。
幼少期の「気持ち悪い」の一言は、確かに本当の傷だった。でもその傷を「世界はみんなそう思っている」という解釈に育ててしまったのは、新菜自身の防衛反応でもあった。
呪いの怖さは、ここにある。最初は他人がかけたものでも、長く抱えているうちに、自分自身がそれを補強し続けてしまう。世界の冷たさを、自分で確かめないまま信じ続けてしまう。
これは新菜だけの話じゃない。「言ってもどうせ分かってもらえない」「自分の好きは変だから黙っておこう」——そう思い込んで生きている多くの人たちが、本当にそうなのか、確かめないまま閉じこもっていることが、たぶん、ある。
もちろん、確かめにいって痛い目を見ることもある。新菜の幼少期の傷は本当の傷だった。だから簡単に「外に出ろ」とは言えない。でも、海夢みたいな存在が一人いれば、その人の世界はガラッと変わる可能性がある——というのは、この作品が静かに教えてくれる希望だ。
◆「好きでいていい」って、誰かに言われないと信じられない
『着せ恋』が多くの人を惹きつける理由は、たぶん、それぞれの読者が自分の中の「新菜」を見つけてしまうからだ。
口にしないでいる「好き」。隠している趣味。「変だと思われそうで言えないこと」。誰にだって、ひとつやふたつあるはずだ。新菜の物語は、それらを抱えてきた自分への、優しい肯定として届く。
個人的には、海夢が「すご!」と言うたびに、ちょっと泣きそうになる。たぶん私の中にも、「すご」と言われたかった子どもの自分が、まだいるからだ。
そして気づくのだ。「好きでいていい」って、実は自分一人ではなかなか信じられない。誰かに言ってもらわないと、心の奥までは届かない。
「好きを好きでいていい」——これって、当たり前のようでいて、実は他者からの肯定なしには成立しない、めちゃくちゃ繊細な感覚なんだと思う。
だからこの作品が静かに伝えていることは、たぶんこういうことだ。世界には、誰かの「好き」を踏みつぶす人もいる。でも、誰かの「好き」を「すごい」と言える人もいる。前者にならず、後者になろう。それだけで、誰かの世界の色が変わるかもしれないから。
「好きなものは好きでいていい」というメッセージは、現代社会の同調圧力の中ではかなりラディカルな主張だ。みんな、無自覚に他人の「好き」を値踏みしている。「それダサくない?」「年齢的にどうなの?」「もっと役に立つことすれば?」——好きを殺す言葉は、空気のようにそこら中に漂っている。
その空気の中で、海夢の「すご!」は救いだ。そして、その「すご!」を誰かに渡せる人になれるかどうかは、僕たち一人ひとりの態度の問題でしかない。
新菜が雛人形作りを誇れるようになったように、僕たちも、自分の「好き」をちゃんと胸に抱える日が来るといい。そしてその前に——隣にいる誰かの「好き」に、「いいね」と言える人でありたい。
たぶん、それだけが、誰かを呪いから解く魔法なのだ。
※ClaudeAIにて生成した結果、一部使用