くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】過剰なサービスとオモテナシの先にあるもの



2017年になって、はや1ヶ月が経とうとしています。
年々、年が変わった感じがないのは何故かなぁと考えて見た時に過剰なサービスが齎した影響って言うのがあるんじゃないかなぁとふと思いました。

●元旦営業は是か非か? (Yahooニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170101-00000531-san-bus_all


◆"過剰なサービス"が季節感を失わせているのではないか
元旦に福袋を見に行った私が言える言葉じゃないんですけれど、元旦でもお店をやっていて24h365dでサービスを提供すると言うのが当たり前となったり、手元には気軽にインターネットを通じて繋がれるスマホがある環境になった事が、季節感(いわゆる年を越した感)を失わせている要因の一つなんじゃないかなぁと思ったんですよね。

あと、昔は年越しカウントダウン!とかテレビで生放送やってたと思うんですけれど、そういったものが無くなって、テレビを見ていたらいつの間にか年を越してたとかそういったのが増えたように思うのです。(このあたりは地デジ配信の遅延とかの関係もあるのだろうけれど、それは窓から投げ捨てます。)

三が日、どこ行っても店やってねぇwwwwwwww今日のワイのお昼ごはんwwwwナシwwwwとか、そういったイベントごとが重なる事によって、あー年越したなー!2017年だわ!みたいな実感につながっているんじゃないかなぁと思うのです。


◆"オモテナシ"が日本人から想像力を失わせているのではないか
高校生ぐらいの頃からずっと思ってきている私の持論なんですけれど、日本のサービスはすごい!とかオモテナシ!オモテナシ!って持て囃されているけれど、あれって裏を返せば、客の品がないからサービスが発達したって言う一面もがあるんじゃないかなって思うんですよね。

もちろんそれは誇るべき文化で日本の長所でもあると思います。ですが、それを素直に堂々とアピールするのは、厚顔無恥なところあるんじゃないかなぁと思うんですよね。長所であると言うことは、”そう”とも取れる短所でもあると言うことをもっと理解する必要があるのではないかなぁと思うのです。

そういったオモテナシが行き過ぎた結果、自分から考えると言うことができる人が、どんどんと減っていってるような気がするのです。


◆ちょっと不便でもよくね?
Amazonプライム使ってたり、24h365dでITシステムのインフラを支えてる私が言える言葉じゃないんですけれど、ここまでサービスが過剰な現状を思うと、ちょっとくらい不便でもよくね?って思うのですよ。
もっとこう、生産性と幸福感(個人の生活)に着目したら、ここまでのサービスを提供し続けることって言うのは全然メリットの無いことで、もはや病的だと思うんですよね。



3行にまとめると
 肩の力抜こ???
 うっ・・・!!!
 ふぅ・・・。
ってことでした。



よければ以下記事もどうぞ
●【雑記】オタクのモラル~ノブレス・オブリージュ
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1071245
●【雑記】"働く"と言う病 ~技術と人間の間で~
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1114286
●【雑記】相模原事件から考えたこと
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1102878
●【雑記】たった一つの冴えた生き方
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar908795


そんなかんじで
おしまい