くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】死にたがりの道化達へ


ひょんな事がきっかけで、私は、本気で自殺がしたいと思いついめた人達に"生きること"を選択させてしまいました。それが一人や二人ならいいのだけれど、この数年間で両手で数えられる人数ともなれば、やはりその選択させたことの”罪の重さ”を感じてしまうのです。

何故、そんな”重さ”を私が抱いてしまうのかと言うと、それだけ、この世の中で”生きること”は”死ぬこと”以上に辛くて難しいものだと思うんですよね。
だから、私に「ああ、私のことを理解してくれる人がやっと見つかった。この地獄から救ってくれてありがとう」だなんて感謝はしないほうがいいし、私はあなたのことなんて、これっぽっちも分からない。

彼ら、彼女らにもっとも辛い選択を、、、私は、させてしまったのかもしれないのだから。
これは、そんな無力な私の懺悔の時間です。


●46歳貧困男性が自己責任論を受け入れるワケ(ヤフーニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170420-00168102-toyo-soci


◆本気で、死にたい人は救えない
私が過去から言ってきているのは、本気で自殺したいと狂気の果てまで至ってしまった人は、どんなことをして尽くしても救えないんですよ。

自殺をすることはダメだなんて、言うのは簡単だけれど、それ以上に”生きること”が苦痛な人達もいて、そういった境地まで思い詰めてしまった人達に対して外側から干渉できることだなんて、たかが知れているんですよね。

それらを聞いて、何かしてやれることはないのか?と思う人達はいると思うんですけれど、彼らがその境地に至るまで「いや、そんなことはないんじゃないか?」と自問自答を、何度も、何十回も、何百回も繰り返してきたと思うのです。

それでも、なお、その境地に至ってしまった。
それは、とても外部の人間が解決できるようなものではなく、根深いものだ。
もう、どうしようもない、、、手遅れなんです。

だから、そういった”可哀想”と言う安直な感情と言葉で着飾り「自殺は良くないことだよ」と言い切るのは、単なる偽善なんですよね。その偽善の矛先を向けられるほうが、よっぽど辛い。それは、まったくと言って、その人とちゃんと向き合おうとしない一番最低な行為だ。

そういった”無自覚な善意”で築き上げられた言葉で彩られた”社会”が当人にとっては、一番息苦しいことで、もうだったら首をくくってしまおうと、そう思わせてしまうんです。


●【雑記】本気で自殺する人は、なかなか救えない
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar638769



◆ぼくたちは"ニンゲンの真似をするロボット"だった

そういった境地に至った人達は、ただ、”ふつうのにんげん”になりたかった。
純粋に思っているのはそんなことだけだと思うんです。

社会という場に塗れて、ペルソナを被ることのできる、ただふつうのにんげんになりたかったと。ただ、当人が持ち合わせた感受性の豊かさがそうさせてくれなかっただけなんです。

ただ、ふつうのにんげんになりたい、、、ぼくもにんげんになれるんじゃないか。でも、そうやって頑張っていたのに、社会によって痛感させられてしまうのです。
ぼくは、ロボットだと、道化だと、、、、ぼくは違うのだと。

そして、気づいてしまう。至ってしまう。
ぼくはにんげんじゃなくて、生きる才能がないのだと。

だから、そういった人達にしてあげれることは私はない。
私もその境地に至りこの首に縄をかけたことも一度や二度じゃない。けど、失敗してしまった。悲しいことに、私は生きる才能も死ぬ才能もなかった。

……彼ら、彼女らに私ができることは、肯定ペンギンになるしかないのです。


●【雑記】「生きていればいいことあるよ!」と言う言葉について
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar525494



◆”自殺”を肯定する
私が、本当に死にたいと自殺がしたいと言う人達に巡り合った時、大体言うことは、自殺を肯定してあげることです。別にそんなに、たいしたことはしていない。

「私はあなたを救ってあげることは出来ない。そして、どうしてもそんなに"生きること"が辛いのであれば、自殺だってなんだってして、死ねばいい」
「自殺が悪い事とか言うのはタダのバカだよ。生きることだって十分に苦しいから、悪いとは言わない。死にたければ死ねばいいんじゃない?」
「死んだら親に迷惑かける?いやいやいや、それ自意識過剰だよ。皆、周りに迷惑かけながら生きてるの。今息してるよね?それ植物に迷惑かけてるから。日常でも、”あ、こいつうざいわ”って時あるでしょ。だから、死んだって一緒だよ」
「首を吊る時はロープちゃんと選んで蝋を塗るんだよ。これ自殺失敗した先人の知恵だから」

と、言い続けたらなぜか皆は、晴れやかな気持ちで「ゼルダたのしー!!生きててよかったー!!やっべ、スプラ2wwwあー!!!任天堂!!!神ィwwwwwww」ってswitchやってたり「小説家に、、俺はなる!」となんかすごい頑張りはじめたり、「付き合ってほしい///」とか未成年は勘弁してくれ。それ、メンヘラからヤンデレにレベルアップしただけだから。。。その気力、少しでもわけてほしいですね。

私が皆に言いたいのは、私はあなた達を救った覚えもないし、恩を感じる必要はない。
生きると決めたら生きていていい。死ぬと決めたら、ふらっと死んでいい。ただ、言えるのは「もし死ぬのなら、お前のswitchを俺の家に届けてから死んでくれ」と言うことだ。


●【雑記】”生きる”ことの意味など無い。
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar634548



◆”メメント・モリ”から”カルペ・ディエム”へ
そもそも、そうやって”生きること”と”死ぬこと”と言うことをしっかりと意識できることは、何事にも代えがたい素晴らしい事だと私は思うのです。

”生きること”は、それは言うなれば”どう死ぬか?”と言うことだと思うんですよね。
”死ぬこと”が意識できる人は、”生きること”に対してそれだけまっすぐに向き合える人だ。
それは、並大抵の覚悟でできるようなことじゃない。

”死”をタブー化する今の時代の流れこそ、異常だ。”死ぬこと”を意識することが精神疾患だなんて間違っている。それこそ、”生きること”にたいする冒涜だ。

何が自殺はダメだ。生命保険だ、長生きが素晴らしい!だなんだバカバカしい。
今この一瞬の刹那を愛せない人間は、いつまでたっても生きることを愛せない。
物語の主人公は自分だ。その幕引きすら他人に決められるなんて、そんなのはっきり言ってクソクソクソ~って感じ。(なお語彙力)

”死”を意識したあなたは誇っていい。その抱いた想いこそが、”生きている証”であると。









よければ以下記事もどうぞ
●【雑記】たった一つの冴えた生き方
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar908795
●"生きる"レベルを下げる
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar735262
●【雑記】ボトムアップ型の生き方
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar616653
●【雑記】相模原事件から考えたこと
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1102878
●【雑記】瀬戸内寂聴さんの発言に思ったこと
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1117745

そんなかんじで。
おしまい。