くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】愛の話を、しようか



過去に、他のエントリで同じような事は触れていますが、一つの題目として"愛"について私が考えたことをここにまとめておきます。

されど我ら汝らに告ぐ、汝らの敵を愛し、汝らを迫害する人のために祈れ
――イエス


◆求道(内発性)
私が思うのは、まず第一に"愛"を知る上でどうしたらいいのかなと思った時、自分自身をまず大切にすると言うことをしないといけないのではないか。
自分を受け入れると言うこと(自己肯定をすること)をしていなかいといけないのではないかと考えています。

それはなぜかと言うと「こんなにも私は最低で魅力のない人間だけれども、君の事は好き!だから付き合ってほしい!」と言われても、そんな魅力的に見えない人に対して好意を相手の人が持つか?と言うと、そうは思えないんですよね。

だから、そこに至る前の段階を踏もう。”私は私でいていいのだ”と言う自己肯定をしていく。
そこには、ナルシズムだとかパラノイアだとか、4つの窓だとか自我だとか、色んなものが付随してくるのだけれど、一旦そういったややこしいものは全て窓から投げ捨てよう。
そんなこと言い始めたら人の一生じゃ時間が足りない。だから自己肯定から、始めよう。

それに多様性だなんだの言われているこのご時世、”そこ”に明確なアンサーって言うのは、無いじゃないですか。でも、日本人にはあまりにもステレオタイプ的な思想が無自覚に至るまでに、根底に染み付きすぎてしまった。そういった時代じゃない。なら全て無かったことにしよう。ほんと、自分大嫌いな私にとっても耳が痛い話ですね。

つまるところ、自分の内から内なるモノへのアプローチ。
”愛”を知るために、まずは”求道”からはじめよう。と言うことです。


◆覇道(波動)
んで、内なるモノに対するアプローチ、自己肯定が出来た先にあるのはなんぞや?ってなると、その外なるモノ(相手)に対するアプローチが必要となってくるわけです。

そうやって、自分の言の葉や行動で、相手に何らかの影響を及ぼす事と言うのは、やっぱり誰しも人間なんで、いいと思うこともあれば、嫌だなと思うこともあるわけです。

それでも尚!!!!と強い心を持つ(自己肯定をする)
返り血を浴びようがひるまない。初志貫徹を貫く。
次第に、その姿は”波動”となって人に影響を及ぼしていく。
たとえ、ダメであってもいいじゃないか。にんげんだもの

それでも尚、それでも尚!!!と、「私はこの道を進むと、そう決めたのだ!」と奮い立ち上がる、その姿は”覇道”であり、その周囲の人に影響を与える"波動"である。と言っても過言ではないと、そう考えています。

つまり、”愛”に至る為には、”純粋な気持ち”と、それを奮い立たせる”勇気”が大切である。
それが、確かな”愛”に繋がっていくんじゃないかと。私はそう考えています。






よければ以下エントリもどうぞ。
【私生観】①”命”の価値は?
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1333097
【私生観】②本当に"死にたい"のなら、それでいい
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1333099
【私生観】③僕は”アイ”を証明しようと思う
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1333101
【私生観】④あとがたり
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1333107






そんなかんじで。
おしまい。