くらむ本

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【エロゲ/レビュー】MUSICUS!

最終更新日:2020/05/17
ネタバレ含みますので、気にする方はご注意ください。

■各種情報
タイトル:MUSICUS!
ブランド:OVERDRIVE
発売日 :2019/12/20
原  画:すめらぎ琥珀
シナリオ:瀬戸口廉也




■感想(個人的・総評)
物語冒頭を読んですぐに気がつく。ああ、そうだ。僕たちは、この人が紡ぐ文章を、十年間待ち焦がれていたのだと、、、再び出会えた事に、目頭が思わず熱くなってしまった。
どうしてこの人は、こんなにも強烈なまでに”死”を息を吸うかのように自然と認識することが出来て、こんなにも暖かく優しい文章を紡ぐことが出来るのだろう。直視の魔眼でも持っているのだろうか。そんな光景ずっと見続けてきたんか、、、絶対耐えられないってそれ。魔眼封じのメガネ、美人お姉さんから貰ったでしょ。ワイは知ってるで。

瀬戸口さんに時代が追いついたのか、はたまた瀬戸口さんが時代に追いついたのか。
”天気の子”や”マルクスガブリエル”、”ファクトフルネス”と言った観点が提言した言葉と、全く同じことを本作は問いていて、そして一つのアンサーを出したと思うんですね。
これは、非常に時代的な視点からも本当に本作はめちゃくちゃ面白い。

あと、私が一番すきだなぁって思ったヒロインは、めぐるちゃんです。
なんでかって言うと、刹那主義な考え方は私もそういった生き方を目指していて共感できるし、あとやっぱり、、、、身体がえっちだからです!!!!!!!!!!(直球)

話を戻しまして、この作品の特徴が特に色濃く現れているのはヒロイン分岐の鍵となる選択肢だと思っています。特に主人公の音楽に対するスタンス、考え方がその選択肢に反映されていて、その後どのヒロインと、どのような結末を迎えるのか?と言う事が明確に現れているからです。
また、どのキャラクターも何処か”死”を認識していて、隣においている。それぞれのキャラクターが得た過去の体験からと言うものもありますが、それらを共通して強く印象付けたのは、どの物語に対しても根付く「花井是清」の存在でしょう。


・・・花井是清の呪い
やはりこの作品で、登場人物たちに大きな影響を与えたのは花井是清の言葉と、彼のとった行動でしょう。彼はあのようなカタチで人生に幕を下ろす事になりました。それはきっと彼の言葉からも分かるように、どんな物事に対しても心が動かなくなってしまったからだと思うんですね。彼はきっと、、、「物語の否定」をしてしまったんだ。

……おれはね、世の中には本当に凄い音楽なんかないのなかって思いはじめているんだ。最近のことなんだけれどね、何を聴いても楽しくないし、心に響かない。この間ね、色んな音楽を聴きすぎて疲れてるのかなって思って、それでちょうど昔好きだったアーティストが来日したからライブに行ってみたんだよ。
年をとったけれど昔よりもパワフルで、何も悪いところなんか見つからない。むしろ良くなってると思う。でも、おれは何も感じなかったんだ。昔は心が震えて涙も出たりもしたのに。今は何も。……それでふと思ったのさ。昔の自分はただ騙されていただけなのかもしれない。ステージの演出とか、有名なアーティストが目の前で歌ってるとか、みんなが褒めてるとか、曲がヒットしてるとか、そういういろんな情報のせいでなんとなくいい曲のような気がして涙を流していただけで、音楽の力で泣いていたわけじゃないのかもしれないって。
~~~(中略)~~~
そうか。まあ、悪くない。でも言うほどのものじゃない。つまるところ音楽なんてただの空気の振動なんだ。ライブハウスみたいな真っ暗なところで、みんなで身体を揺すって、ばかみたいな大きな音でそれらしく流していれば、その振動が心臓に伝わって、なんだか感動したような勘違いをするんだ。広告を打って、ストーリーをくっつけて、ファッションみたいに流行らせて、すごいものみたいに言ってるのは全部デタラメだよ。どの曲も歌も大した差なんかない。全部プロが作ってるんだからさ。どの曲を聴いたって、ちょっと気持ちよくなるだけだ。そしてロックなんか存在しない。

そして、「物語の否定」と言うのは、その「人が歩んできた道の否定」だと思うんですね。
過去に私はエントリとしてまとめましたが、物語は人生で、人生は物語だと簡単に述べていますが、その否定をしたから、もう生きる場所が無くなったからなんだと、、、カラッポになってしまったんでしょう。だから彼はああしたんだなと、私はそう解釈しました。
●【雑記】"物語"は"人生"なのかもしれない
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1134686


そして、私達プレイヤーも彼の紡ぐ言葉は本当に胸に刺さって、僕たちが信じていた”好き”は何だったのか。幻想だったのかもしれない。とあまりにもザワザワと胸をかきむしりたくなる衝動に駆られる。それほどまでに、彼が紡ぐ言葉には魂が宿っていて、鬼気迫るものがあったんだ。


・・・弥子ルート
このルートは一見すると、学生たちのベタな青春ストーリーのように見えるのだけれど、何処か主人公の取る行動や言動が、他のルートに比べて冷めているような気がするんですね。
何が言いたいのかと言うと、物語のその場の当事者なのにもあるにも関わらず、どこか他人事のように目の前の出来事を傍観しているような気がするのです。

それは、彼女のルートにはいる、選択肢
>「どんな形であれ、自分の人生をギャンブルにするなんて」
と言う言葉で自分の人生を掛けてバンドを選ぶことを辞めて堅実に生きようとするところに現れているように感じています。

それに加えて、このルートの面白いところはもう一点あって、弥子さんが憧れていた父親が最後まで取った行動が何だったのかと言うと、「やりたいことを成し遂げた」って事です。

この2つの観点を合わせると、確かに一見すると彼女と主人公は結ばれて、再びバンドを趣味の延長線上でやって一つの達成感を得る。めでたしめでたし!で終わってしまうと言うのは、違和感が出てくるんですよね。
二人のその幸せを得る為には諦めたモノも確かにあって、他のルートと相対的に比較してみると、何処かトゲがあるエンディングだなぁと言うような感じがしてくるんですよね。

うろ覚えなんですけど「今回はこれを選ぶけど、これは間違いじゃなくて、選んだものを正解にしなくちゃいけないんだ。」って言うような前向きな言葉が出てくるんですけど、どうしてもそのように解釈してしまうのは、今までの瀬戸口さんの作品に毒されすぎてるせいでしょうか。(白目)


・・・めぐるルート
このルートは、一言で述べたら「カルペ・ディエム」だと感じています。
とにかく「今を楽しく生きるんだぜ!」って言うのに、最大限に振っている。そのため、主人公とめぐるの恋愛的な関係性とか弥子ルートとは違う折り合いの良さと言うか、淡白に描かれているんだと思うんですね。

なんで彼女がそうなったのかって言うと、彼女の過去を振り返ってみると親にボロボロになるまで振り回されて、生きるのが辛くなったよ。そんな時、朝川先生に会って音楽にふれることが出来た。音楽に振れている時だけは、そんなクソッタレな世界の事を忘れていられる。

そして、そんな音楽の世界に連れて行ってくれた朝川先生が床につき、いよいよ、、、と言うところで、主人公たちがかつて、先生の作った音楽を届け、先生の目にも光が戻った。
と、正しく目の前の問題はいい方向に転ぶところでこのルートは幕を下ろすんですね。

他のキャラクターのルートだと、何処かこの先、主人公はともに歩むヒロインはこうなるんだろうなってイメージが出来るんですけど、このシナリオだけぶつ切りで終わるような感じがするんですよ。
何が言いたいのかと言うと、確かに目の前の一つの問題は解決したけれども、この先この二人は本当に二人なりの幸福をつかめたのか?ってところが全くイメージが出来なかったんですよ。
んで、先に戻るんですけど、このルートのテーマはなにか?と思い出すと「今を楽しく生きるんだぜ!」って事なんで、そのテーマを補強するかのようなエンディングの迎え方だなぁと味が効いていて、非常に納得しました。


・・・澄ルート
このルートはバットエンドとしてよく述べられていますが、私的にはバットではないかなと感じています。
花井是清が歩んだ道と同じような生き方を選んだのだけれど、彼と同じ結末にはならず、主人公は「音楽の神様」を探し続ける事にした。その明確な違いはなにかと言うと、主人公の心はまだ確かに機能していたからだと思うんですね。

「音楽の神様」を探し続けて、そして出来上がった音楽に誰も見向きされない。徐々に周囲から人が離れていき、主人公の世界がドンドンと閉じたものになっていく。
そこで、ずっと主人公のそばに歩み寄ってくれていた彼女の妊娠が発覚して、ひどい言葉を向けた。そして冷静になって考えてみて、謝ろうと決意した時、彼女は音楽によって齎された事故で亡くなってしまった。主人公は何もかも本当に何もかも、失ってしまった。
でも、その事によって、とてつもないくらいに心が動いたんですね。

本作中では、この主人公の気持ちが揺れ動く。と言う描写がされるシーンって物凄く少ないんですよ。たしかプテラノドンでバンドをやった時と三日月ルートのスタジェネのライブぐらいだったと思うんですね。(ここはかなりうろ覚え、、、)
そんな心が動じない主人公の作った音楽で活力を貰っていた澄が、自らの喪失を持って主人公に激情を与えるって、なんだか凄く味が効いてるじゃないですか。
そして主人公が取った行動が、再び「音楽の神様」を探し続ける。って言うのが、もう狂気的で最高だったんですよ。
このパラノイアは正しく瀬戸口さんだあああ!!!!!!!って感じで、しびれました。

あと、このルートはレストランでの二人の会話がいいですよね。正しくノベルゲームってこうだよなって言う説得力が補強されましたし、弥子ルートでの主人公の言動がより輝くアクセントにもなったなーって感じています。


・・・三日月ルート
このルートで、主人公は、「音楽の神様」の呪いから解き放たれます。
それは、選択肢に如実にあらわれています。
>「花井さんの遺作であることを告知して、」
つまり、花井是清が嫌っていた物語性の付与によって、呪いとの決別の一歩を歩むんですよ。
これは、「価値=意味ではない!」と言うところを明示的に示したんですね。
そのあたりは、めぐるルートでのアジアン帝国の人が橋で川にダイブするシーンで、正しく一言で結論を述べてくれているんですけど、そうだよなこうなるよなって同じ境地にたどり着いたのは、胸にくるものがありました。

もうちょっと噛み砕くと、「音楽ってなんか奏でてたら何か気分良くなって楽しいよねー!!それで当人の主観としては価値あるって言ってよくね?それが人を幸せにするかって言われたら、よくわかんなくねぇ?だって、そこで幸せだとか、感動した!!!!とか言うのは、他人が勝手にそこに意味を付けて、物語性を付与した結果じゃん!!!だからもう、考えたってしかたなくね?上げ上げウェーイ↑↑www」って事だと解釈してます。

んで、ダラダラわけのわからん事言うよりもさぁ、そういった前向きな姿勢がさぁ、大事だよね。って事だと思うんですよ。だって、ロックンロールなんですよ。
三日月のライブ開始時に必ず入る声「いきます」が、鬼気迫るような迫力のある声から、優しい「いきます」に変わったのは、きっとその答えを得たからだと考えています。

音楽はただの音の振動だよ。音楽の感動はまやかしだ。おれたちミュージシャンのやっていることなんか全てクソだ
……でも、だからなんだって言うんだろうね?
それが何であろうと、俺たちには音楽が必要なんだ。他の何よりも必要だったんだ。どうしておれはそれを信じられなかったんだろう? 自分にとって一番大切なものを、どうして台無しにしようとしてしまったんだろう?
~~~(中略)~~~
ロックンロールという言葉はね、きみが勇気をもって暗闇で顔をあげるとき、いつもそこにあるものの名前なのさ

また、私がこのルートで気になったのが、三日月へのアシッドアタックなんですよね。
この下り別に無くても良かったよなって思うんですけど、なんでそれをわざわざ入れたのかって考えてみると、、、うーんw瀬戸口さんの悪癖wとかじゃなくて、「どのルートが正解なのか?」って言うことを明示的に描きたくなかったんじゃないかなって思いました。

本作品は、主人公が音楽に対してどのような向き合い方をするのか?って言うところがベースとなる分岐の選択肢になっているのにも関わらず、そのアシッドアタックの紆余曲折が無ければ、三日月のルート(主人公が物語性を付与する事)が正解なんですよ!って言われてるような気がして、付け入る隙がないじゃないですか。

そしたら、他のヒロインが報われなくない?他のヒロインもさぁ、十分めんどくせー状況じゃないこれ?そんなキレイな物語やられちゃったらさぁ、「人生そのものの正解」を示されたかのようで、正直しんどくね?ってところで、あの下りでひと悶着あったのは、挫折して尚それでも歌うのだ!と言う、三日月ルートとしての説得力と言う意味合いだけではなく、他のルート含めての相対的な意味合いもあったんじゃないかなぁと感じています。

だからこそ、弥子ルートのところで主人公が答えているそのままの言葉がアンサーになるのですけど、どれが正解か?みたいな論争が起きるってのも納得なんですけど、それを決めつけるのは、ちょっとしたくないんですよね。
どれも等しく素晴らしい物語で、この4つの物語があるからこそ、「MUSICUS!」なのだと、私はそう、思いました。前向きになったから、それでええやんけ!ってことです。

ロックンロール!!!!!って事ですね。


・・・金田の存在
私、本当に金田の存在が何よりもこの作品において、花井是清と主人公の次に重要なキャラクターだったと思うんですね。
彼は、凄く平凡な存在で、ロックスターだ!と言うけれど、それに向けての練習も全くしない。発言も空気読めないし、本当に自分に調子がいいことばかりしか言わないし、ファミレスのシーンとか人によっては嫌悪感も覚えると思うんですよ。

でも、なんでそんな風になったのかって言う理由が彼にはあって、彼がさらっと述べる自身の過去の話が、もう想像を絶するようなヘビーな話じゃないですか。
そんな状態なのにも関わらず、夜間とはいえ学校行こうかなとか思ったり、社会とのつながりを持とうぜ!って言う方向に舵を切れたって言うのは、正しくそこには「ロック」があって、彼を救ってくれたからだと思うんですね。

んで、そんな彼がどうなったのかって言うと、何もつかめてなくて、なんにも至れてないじゃないですか。でも、どう見ても、彼の主観では、めちゃくちゃ幸せなんですよ。
特に三日月ルートで、結婚して子供を生んでって言う描写がちゃんと描かれた。って言うのが、本当に本質は何も変わっていない。何も得ていないのに、ものすごい世界から祝福されているじゃないですか。
また、澄ルートで最後の最後まで主人公の隣に立っていたのは金田だった。っていうのも本当にいいやつだなって思うし、その変わらないところが本当に愛おしく見えてくる。

金田のこれは、、、そうだよなって、これこそが人生だよなって納得したし、彼の姿には、ものすごい元気もらえたんですね。だって、このクソッタレな世界に、精一杯の愛を込めたのは、金田であることは、間違いないからです。





■補足とか
本作をもって、ブランドOVERDRIVEは幕を下ろす事となります。本当に素晴らしい幕引きとなったのではないでしょうか。クラウドファンディングに参加出来て本当によかった。

宣伝ですが、本作リスペクトの全国ツアーが予定されています。
コロナ等々ありますが、問題が無ければ10月の東京会場・下北沢で、お会いしましょう。
 詳細:https://musicus.over-drive.jp/tour2020

また、キャンプファイヤーにて、花井是清のアルバム制作のクラウドファンディングが始まっています。もし興味がある人は是非申し込んでください。
 詳細:https://camp-fire.jp/projects/view/251004?list=projects_popular

また、本作品について3時間以上も!!音声通話しようぜ!と声を掛けてくれたSさんに感謝。あの通話をするために、事前に考えをまとめたのが本エントリです。
私は「三日月のエンディングをトゥルーエンド、他のルートをノーマルorバッドエンドと言うような解釈をしたくなかった」と言う考えが最初にあったので、このような切り口での感想となりましたが、話し合いで出た「音楽との向き合い方・選択」と言うところに、もう少し着目して解釈しなおそうと思います。このあたりについては、宿題ですね~。
時間をちゃんと作って再び、ムジクスやりたいと思います。


この雑文を読んで作品に興味を持ったよって人は、公式サイト様から体験版のダウンロードを試して頂いたり、ご購入の検討をしていただければ一人のファンとして、幸いです。