くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

「◯◯じゃないからやり直し!」と言う、言葉の流行りを考える

近頃「◯◯じゃないからやり直し!」と言う言葉が流行っています。
何故、この言葉が流行ったのかなと言うことを考えてみると、
利用者が消費者としての自分を受け入れてしまったからではないかなと思いました。

「◯◯じゃないからやり直し!」 この一言の意味を考えると、
何らかの発信者がいて、その発信者に対して◯◯が無いからこれはダメと言う「批判」と、
私は◯◯ってものを知っているんだぜ凄いだろと言う「自尊心」を得られる大変便利な言葉だなと感じました。

利用者も発信者も共に意見を交わし合って、より良いコンテンツを一緒に作り上げていくカオスなコミュニティであることがインターネットの面白いところだと思っています。
ですが、現状の投げかけられる「◯◯じゃないからやり直し!」と言う、一方通行な意見は、意見を述べると言う行為なのではなく、発信者に対して批判し否定することによって、満たされる自尊心と、ただのストレスのはけ口にしていように感じられます。

ただ、そう言ったところから尖った面白い意見も出てくることも否定出来ませんし、全てが全て、そうとは言い切ることも出来ません。
否定的かつ一方的な発言でも、意見があると言うのは興味を持ってくれていることには違いませんし、そこから生まれる面白いコンテンツもあると思います。

この辺りは、コンテンツを作り上げたいと思う発信者や、それを受け取る利用者の、
思想、発想、受け取り方によって変わってくるでしょうし、難しいところですね。
私は、何でも発言してほしいってタイプですね。賛成でも反対でも大歓迎です。
意見が出ないと言うのは、興味がないと言うこと、物事に対して、ただそのままでいいよと肯定すること一緒だと言う価値観を持っています。それでは何の変化も起きないし面白くない。
発信者も利用者も何らかの形で発信する事、自分はこう思っているんだけど貴方はどう?と、そのようにどんな事でも意見することが大切だ。

ただ、尖った意見であればあるほど、それによって傷つき、発信することを辞めてしまった発信者も数多くいると言うことに、気づいて欲しい。
己が発言は己に責任が問われると言う責任感を持って欲しい。
匿名性の高いインターネット上で何言ってんだよって言われれば、おしまいってなっちゃいますが、ディスプレイの先にいるのは同じ人間なんだよって事に気づいてほしいです。
そう言った、思いやり、コンテンツを一緒に盛り上げようと言う雰囲気作りをしていかないと、何も生まれないんじゃないかなと。

何らかの発信する人がいて、それを受け取る利用者がいて、そしてその利用者が思ったことを、意見する。そして、その意見によって発信者がまた次の発信へと繋げる。
そのサイクルをしっかりと回したい。その為には、利用者がコンテンツを消費している人ではなく、利用している者だと言う認識を持たないとダメだ。
「昔のニコニコ動画の方が面白かった」と近頃よく耳にします。
その原因の一つが、本件なんじゃないかなと考えています。


まぁ、3行にまとめると、
・一方的な意見を言うのはいいけど、それで傷つく人もいる。
・コンテンツ(ニコニコ動画)を一緒に盛り上げて行こうぜ!
・私は別に気にしないし、意見ください。コメ返し出来るかわかりませんが、批判大歓迎。
ってことです。



最後に、私自身に向けてこの言葉を贈ろうと思います。
ネタをネタとして受け入れられていないから、始めからやり直し!



おしまい。