くらむ本

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【雑記】日本語の性質「ハイコンテキスト」がもたらしたモノ

日本語と言う言葉の性質を考えた時、一つの言葉が浮かび上がる。

「ハイコンテキスト」

ハイコンテキストと言うのは、言語がもたらす情報量と言うのが少なくて、その言葉の背景や、心理、身振り手振りの動作をも判断材料として含める「言葉の外側にあるもの」を読み取る事が必要な言葉だ。

「ハイコンテキスト」と言われている言語は沢山あるが、その中でも日本語と言うのは、日本の文化と相まって排他性が非常に高いと私は感じています。
日本独特の社会や文化は、外部に対して閉ざされたコミュニティが非常に多くて、そういったコミュニティにおいては、言語の情報量より、長年の経験やその場の空気を感じ取る事で、意思が伝えられたりすることが多いんじゃないかなーと思いました。


例えば、喫茶店の常連客なら
「マスター、いつもの頂戴!」
「ああ、あれね。」
と言うような、主語が無かったり、経験からくる会話が成り立ったりしている。

でも、ローコンテキストの言語が言葉として流通している国は
「マスター、コーヒーをくれ!」
「まかせろや!」
と言うような会話が多いような気がします。
海外あまり行ったこと無いので、9割妄想ですが。

「ハイコンテキスト」「ローコンテキスト」と言う違いで言語を分けてみると、その国の文化や、よく耳にするその国人の性格等も、ああなるほどなーと納得できる面があったりして、調べていて、なかなかに面白かったですね。


私が今回、「ハイコンテキスト」について色々と調べていて何を思ったのかと言うと、何らかのコミュニティを立ち上げて、「もっと多くの人に知ってもらおう!」「オープンにしていこう!」と思ったとしても、日本のコミュニティの在り方とハイコンテキストと言う日本語の性質を交えると、気がついた時には相手にハイコンテキストを求めてしまうような、閉鎖的なコミュニティが出来上がってしまうのではないか?と言う事です。

特に酷いなーと個人的に思うのが「PDCA」や「5W1H」と言うような比較的ローコンテキストな情報を求めてくるのに、その上にハイコンテキストである「暗黙の了解」があるという日本の社会って意味わかんないぽよって思います。
他の国の社会もそうやって回っているんですかねぇ。


よければ以下記事もどうぞ
●【雑記】明確に意思表示をしない人達
  http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar571268
●【雑記】私が考える「生産性のある会話」と「責任」について
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar564473


そんなてきとーな感じで。
おしまい。