くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】”私はコミュニケーション能力が高い!”と言う錯覚

ネットで色々なニュースを見ていたら、ちょっと興味が出た記事がありました。

●コミュニケーション障害の自閉症、同じ障害の人に共感(京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20141105000159

コミュニケーション障害などがある「自閉スペクトラム症」(ASD)の人は、同じASDの人に対しては共感しやすい傾向があることが京都大白眉センターの米田英嗣准教授らのグループの研究で分かり、英科学誌で5日発表された。
 ※記事より上記抜粋※


これは非常に興味深い結果が出たな-と最初に思いました。
ドラクエで言う「マドハンドAが仲間を呼んだ!」→「マドハンドB、マドハンドCが現れた!」って状況ってことだな!って私は勝手に解釈しました。
私と違ってマドハンドは仲間がいて羨ましいです。ああ、話がそれましたね。戻します。
そこで、疑問に思ったのは「ASDを発症していない人達もそれは一緒なのではないか?」と言うことです。

何が言いたいかと言うと、私はこの記事を読んで「コミュニケーション能力」と言う言葉に疑問を抱いたのです。
「私はコミュニケーション能力があるよ!」と他者に公言しても、それは似たもの同士が集まったコミュニティであってその中で私はコミュニケーション能力が高いんだ!と錯覚している可能性が捨てきれないんじゃないか?と言うことです。

その辺りについては、過去に似たような記事(下記参照)を書いていましたね。
●【雑記】日本語の性質「ハイコンテキスト」がもたらしたモノ
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar604790
自分の手の届く範囲のコミュニティや視界だけで満足するのではなく、自分の視野を広げよう!と活動をしたり、色々なところに飛び込むことって凄く大切だなーと思いました。
ただ、その”視野を広げよう!”と言う活動自体すら、自分の視野、想像の出来る範疇の出来事なのでは?と思う一面もあったりして、どの程度が自身の視野の範疇で、どの程度が認識外なのかと言う線引をするのは難しいですね。



”コミュニケーション能力”とは、なんぞやって考えた時、wikiにはこう書いてありました。
wikipedia-コミュニケーション能力

コミュニケーション能力(コミュニケーションのうりょく、communication ability)とは、一般的に「他者とコミュニケーションを上手に図ることができる能力」を意味する。

この”他者”の意味するところは、一体どの程度の範囲なのでしょうね。
私は全裸で渋谷の街中を歩きつつ、警察に逮捕されないぐらいの説得力が出せれたらコミュニケーション能力があるって言ってもいいんじゃないかなって思いました。



私が本記事を通して言いたいのは、コミュニケーション能力って難しいぽよって事です。
数字として明確に表現できるようなモノじゃありませんし、時代によって求められてくるコミュニケーション能力と言うものも変わってくると思うので、常日頃から意識したり考えたりすることが大切なんじゃないかなって思います。
色々考えた結果、私の中は”コミュニケーション能力”って言葉がゲシュタルト崩壊しました。



そんな感じで。
おしまい。