くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】物語は進むよ、どこまでも


"物語"は、どこまでも変化して、前に前に進んでいる。
様々なメディアで紡がれる”物語”を見ていて、そんなことを最近思うのです。


◆常に”変化”をしていく”物語”達
「映画:スターウォーズep7」などのスペースオペラで主人公が女性になったと言うことや「映画:リリーの全て」と言うようなジェンダーを取り扱った物語が出てきた事、「映画:帰ってきたヒトラー」のようにかつてタブーとされていた人を取り扱う作品が出てきた事、「ゲーム:カオスチャイルド」のように舞台背景の要因として”3.11”と言った衝撃的な天災を取り扱う”物語”が出てきた事、「漫画:逃げるは恥だが役に立つ」のように現代の日本に根付いている結婚に伴う価値観をフランスのような価値観で切り開いたような作品が出てきた事。

そのような”物語”が生まれていく事と言うのは、めちゃくちゃいいことで、それに気づけた時、私はものすごい高揚感に包まれるんですよね。「ああ、人はこうして傷を負いながら、それでも、前に進むのだ」と、まるで人間賛歌を歌っているかのように、実感ができるのです。

過去(下記のリンク集参照)にも書きましたけれど、「やっぱり物語って、人生だよなー」って思うところがあって、そのようにして変化していく”物語”を見られると言うのは、まさしく人生そのものなんじゃないかなぁと感じるんですよね。


◆”屍者”に囚われた”物語”
アニメ制作会社が倒産とか色々と問題がありましたが、今月よりついに上映開始となった「映画:虐殺器官」先日、見てきました。ほんと、ファンとしては見れただけで良かったですね。

そして、この”物語”から私が思うのは「伊藤計劃が生きていれば日本のSFは、もっと、、、」とそういった言葉を紡ぐ人達が、可哀想に感じてしまうのです。いや、私もめちゃくちゃ魅了されたファンの一人で、その気持ちは分かるんですけれど、、、上記に書きましたが、物語って言うのは、常に変化して前に進んでいくんです。

そうした”物語”の為に、我々は血塗られた覇道を進もうと言う勇気が必要なんじゃないか。
いつまでも、”伊藤計劃”と言うカリスマに縋って、屍者を祭り上げることがどれほど残酷なことなのか、自覚しないといけないんじゃないか。そんなことを思うのです。


◆”物語”を血肉化していく
「物語って人生だ。そこから得られるモノがある」と言う大前提が私の中で最近になって確かなものとなっていて、だからこそ、物語を純粋にそのまま物語として受け入れるんじゃなくて、一歩先に進んで、物語を自分の血と肉にしていきたいなぁと思うのです。

かれこれ10年くらい続けている美術展巡りでも、描かれたモノ、そこで表現されたモノだけではなく、時代的な背景や影響を受けたものと言うようなところまで、少しづつ分かるようになって非常に楽しいです。だからこそ、この”大前提”辿りつけたのでしょう。

でもそれだけじゃ足りない。足りないんです。
”物語”はもっともっと先へ進むんです。だって”人生”ですから。
そしてそれを自身の血と肉として生きたい。
ある意味、これは”クンフー”なのかもしれませんね。

うむ。そんなことを思いました。

この先は暗い夜道だけかもしれない
それでも信じて進むんだ
星がその道をすこしでも照らしてくれるのを
さあ、旅にでよう

――引用元:四月は君の嘘(漫画)



よければ以下記事もどうぞ
●【雑記】"物語"は"人生"なのかもしれない
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1134686
●【雑記】コンテンツの流行の背景にあるモノとは何か?
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1057901
●【雑記】”物語”の語り方
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar698164
●【雑記】アニメーション業界は"メディアミックス"の生贄となったのか?
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1139163


そんなかんじで。
おしまい。