くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】私が考える「生産性のある会話」と「責任」について

私がよく使う言葉に「生産性のある会話」と「責任」があります。
私が考えるその2つの言葉の意味について、お話したいなと思います。

イメージしやすい例題として”仕事”を上げます。
登場人物としては、労働者と上司を用意させて頂きます。

まずは「生産性のある会話」について。
労働者が複数の案件を持っていて、仕事が凄く忙しい!
その時に上司が新しい案件を持ってきて、これもやってくれと労働者に対して言います。
ですが労働者は現状の案件で手が一杯で、もうこれ以上の案件は持てません。くたくたです。
そうして労働者は「無理です」と声を上げるでしょう。
ですが、そうやって無理!と否定ばかりしていては平行線で、話は先に進みません。
そう言った時は「では一体、何故無理なのか?何故そう思うのか?」と一歩先に進んで会話をしましょう。
人を増やせばできるのか?今ある案件は他に出来ない人はいないのか?それとも他の人に新しい案件を任せられないのか?今ある案件の作業効率を上げたら、新しい案件も出来るのか?
考え方は色々あります。それが私の言いたい「生産性のある会話」です。

次に「責任」についてお話します。
労働者が負うべき責任は、そう言った「無理なら無理!でもこうしたら新しい案件もできるよ!」と出来る事、出来無い事、出来無い事に対してこうしたら出来るようになるよ。と上司に「発言する責任」がある。
上司が負うべき責任は、その労働者が出来ない事に対して、こうしたら出来ると言う提案を受け止め、「調整をする責任」がある。
そのように私は考えています。


つまり
1、現状の問題点を上げる。
2、その問題点対する解決方法を仮定する。
3、仮定した解決方法を実践する。
4、効果が出ているのかチェックを行う。
  出ているのであればオッケー、それを継続する。

  →出ていないなら、別の解決方法を考える。
と言うサイクルをしっかり回すべきなんですよ。問題を上げること、その問題点に対して解決すること。いわゆる結果に結びつく過程に焦点を当て、他人と言葉を交わしコミュニケーションを取ることや、それに伴う行動を起こそう!と言う事です。


話した内容について責任うんぬんなんて、そんな事はなかなか出来るものじゃない。
責任として各人が負うべきことは、ただ頭ごなしに否定をするのではなく、その理由を述べ、その上で「こうしたら出来るんじゃないか?」「こうしたら改善されないか?」と、話し合う事だ。と私は考えています。
それが私の言いたい「生産性のある会話」と「責任」について、です。

その為にはまず「人に文句を言う前に私自身はどうなのかな?」と考えよう。
近頃はTwitterSNS、動画配信サービスによるコメント等、短い文章で発信できる場が多く「何故そう思ったのか?」「何故そう感じたのか?」と言う”理由を考えない人”が非常に増えてきたのではないかなと私は考えています。


まとめると、
言葉で殴りあうんじゃなくて、ちゃんと言葉のキャッチボールしようぜ!って事です。


そんな感じで。
おしまい。