くらむ本

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【雑記】僕の歩んできた人生は正解だったのか

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アラサーと呼ばれるのもあと数年。社会人になって十数年。そんな年齢ともなったせいか、自分がこれまで歩んできた人生は本当に正しかったのかだなんて、そんな答えのでない問いを悶々と考えてしまうことがあります。今日はどーしょーもない話をします。

 

◆歩んできた道の再確認

コロナ禍とかでなかなか人に会うと言うのは喜ばしい事ではないのだけれど、近頃、長年会っていなかった友人と会う時間を作っています。

長年会っていなかった友人に会うと言うのはそれだけでも楽しいのだけれど、その友人たちと会っていなかった5年や10年。そんな期間に何を積み上げてきて、今何をしていて、今どう思っているのか。

そんな話を聞きたくて、そして僕が何を積み上げてきて、今何をしているのか。話をしたくて連絡がついた友人には、なるべく会って少し話をする。と言うのを行っています。

 

それだけを聞くと、まぁ、別にいいんじゃない?とか、そんな感想しか抱かないと思うのですが、ホントーに僕の性根が腐りきっているのが、そんな友人たちの話を聞いて、僕の人生を振り返って、心の中で会ってくれた友人たちの歩みと比べるとまだ自分は大丈夫だな!だなんて、キショい再確認の儀式に付き合わせているんですよね。

無垢な瞳で「お前はほんとこういうマメな事昔からするやつだよなー。今日、声掛けてくれて嬉しいよ」だなんて、学生時代と変わらない安い居酒屋で笑いながら褒めてくれたりしている。そんな友人たちにすごく失礼な行為だよなだなんて、ちょっぴり自己嫌悪。

今でもバカであることは何も変わらないけれど、学生時代のあの頃からは、時が経って色んなものを見て、色んな事を知ってきた。そこには変わった部分もたくさんあるし、変わらないものもあった。ぼくは、あの頃からずっと、、、臆病者なんだ。

 

 

◆”正解”は何処にあるのか

ぼくは臆病者で、そして誰かに引かれたレールの上ですら、おぼつかない足取りで満足に歩くことすらできない。そんなダメな人間なのだけれど、いっちょ前に自分の歩んできた道は間違いではなかったのだろか。だなんて、そんな事を考える。

それは明確な答えはコレです!だなんてあるものでもなく、そしてそれを考える事によって得られるようなモノなんて特段無いと言うことは分かりきっているのに。

 

そんな答えのない迷路から甘ったるいゼリーのような甘美な声が聞こえてくる。ここにいればずっとラクだよと。悩み妬み、恨み、誰かと比較し自分はまだマシだwだなんてマウントを続けること。あまりにもそれは劇的で甘い味がする。臆病者な僕は、その味から離れることが出来ないのだ。

忙しい!忙しい!だなんていつも言っているけれども、そんなドロドロと陰鬱な世界から抜け出せずに自己愛に浸っている僕は、要するにただの暇人なのだろう。

 

 

◆暗闇から手を伸ばせ

時には、友人と会ってお互いの傷をなめ合う事や、自分が今いる場所が何処にいるのか。一度立ち止まってそんな確認をすることは、間違ってはいない。ただ、そのぬるま湯にいつまでもずっと浸かっていることは良くない。

なぜならそれを選びつつけることは人生の正解ではないことは間違い無いからだ。そこに胡座を書いているといつの間にか月日が経ち、手遅れになってしまう。

 

ここで必要なのは、自分が選んできた道、過去何を積み上げてきたのか。今何をしていて、それに対して自分が今どう思っているのか。そして未来、どう変わって行きたいのか。その自分の言葉に耳を向けて、今いる暗闇から勇気を出して手を伸ばしてみるってことがきっと大切なのだろう。

 

そう。正解なんて、きっと何処にもない。ただ、選び取るだけ。それだけがある。

そして、選び取った中で過ちをしたというのであれば、そんな選択をした自分を許し、そこから学び、また手を伸ばす。その手は、きっと傷だらけで泥だけだろうけど。それは何よりも誇らしい。戦った者にのみ与えられる勲章だ。

 

きっと、人生って、そんな話なんだろうと。おじさんになった僕は、最近思うようになりました。

 

そんなかんじで。

おしまい。