くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】僕たちが「死にたい」と呟く理由



僕達が死にたいと思うのは、その根源には「生きづらさ」があると思っています。
以前、私はそのようなものを少しでも描きたいと思い、以下のエントリを描きました。

●【雑記】死にたがりの道化達へ
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1244464

私の紡いできた全てを統括し、賛歌を上手く歌えたのはこのエントリだと思います。
そして、ここから改めて「生きづらさ」が纏う空気と言うものに着目し、そして少しは昔からアップデートし、言語化できたかなと思うことをまとめておきます。

私が何年も何度も考えてきた「生きづらさ」と言うテーマですが、今まで紡いできた類似エントリもリンクを載せておくので、もし、時間があれば合わせて見てもらえればと思います。

 

◆まえがき
今この世の中を覆っている環境や、個人が持っている価値観と言うものが、どこから来ているのか?と言うのを考えて見た時に、私がたどり着いた先にあったのは「資本主義」「社会契約」の2点でした。

それをうまく、私のレベルの低い言語力に当てはめて言葉にする。と言うのが恐ろしく難しくて、よく悩んでいたのですが、なんとなくつかめてきました。
小題の話をするために、話が長くなるんで申し訳ないんですけど、話します。

最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。
――芥川龍之介



◆外圧が内圧化していく社会
こう、時計の針を30年くらい戻しまして、その時代に覆っていたわかりやすい価値観と言うのはなにかなぁって言うと、
 >結婚して、子供作って、男は働いて女は家庭に入る。
 >車を買って、一軒家を建てる。
 > 「 普通の家庭を築く。 」 
みたいなのあったじゃないですか。いや、私生まれてないからめちゃくちゃ無責任でテキトーなこと言ってるんですけど。

でも、この30年間どうだったよ?ってなったら世界的にタテ・ヨコ・算数で比較したら、失われた20年だの30年だの言われ、この国の経済成長は落ち込んでるよねって言うのがハッキリわかるじゃないですか。そのような実数値は出ているのにも関わらず、
 「 普通の家庭を築く 」
と言うような外圧が押し寄せて、その普通のボーダーラインが簡単に越えられない壁として、大きく目の前に立ちはだかっているんですよね。

よく言われていたのは「一億総中流社会」でしょうか。
そのような言葉に扇動され、我々は中流なんだ!と暗示をかけることで、より、普通と言う言葉の押し付けが重くなった要因の一つでもあったんじゃないかなぁと考えています。
こう人々が抱く思想はブルジョワになったけれども、経済資本がそこに付いてこなくて、そのツケが回り回って今、表面に出てきているような気がするのです。

つまり、個人が持つ内圧が外圧になり、環境が持つ外圧が内圧になっていて、この国は、非常に高度に発展した秩序のある社会のように見えて、その社会から一歩でも踏み外した人間は、異質に見えてしまう。
とんでもない同調圧力の空気が漂う監視社会を、ぼくたち、そしてこの国は、作り上げてしまったんじゃないか?と言うところを感じています。

●【雑記】"自己責任論"では本当の弱者は救えない
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1155539



◆マーケット化する婚活
年齢が年齢なので、私自身が最近悩んでいる婚活について思うことでもあるんですけど、やっぱり婚活ってそういった外圧や内圧、資本主義のレールの上に引かれている感が凄くするんですよね。
 >自分はこの業界で、●●をしていて、年収はいくらぐらいですよ。身長はいくつですよ。
みたいなラベルでまずは会話が進むじゃないですか。

そして、自分の一人称視点で捉えた時に相手をまた同じような視点で値踏みをしていく。
それは、効率のいいことといえばそうなのだけれど、もはやそこにあるのは、好きだ嫌いだとか言う以上に、社会契約の一つになってしまっているような気がしていて、どうしても踏み切れないんですよね。

それが本当にいいことなのか?とはどうしても思えなくて、かといって、大恋愛したんだぜ!オラオラ!ウェイウェイ↑↑みたいな、日本のよくあるドラマのような恋愛至上主義もすごく気持ち悪くて。

まぁ、私自身もそのような外圧や内圧に毒された影響で潔癖が行き過ぎているのと、腹がククレないチキン野郎。それでQED証明終了wって言われたら何も言い返せませんし、自分自身をリスク財としか見れていない。自己肯定感が持てていない。と言うのは、やっぱり失われた30年の影響もあるのかなぁとそんなことを考えています。

また、核家族化とか個人主義、地域共同体が死んだと言うのもあって、子育てと言うのも、リスク財扱いになってきているのが、ちょっと、行き過ぎているような気がしてなりません。

●【雑記】"愛"の話を、しようか
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1470640



◆労働に再配置される社会
そのような普通や外圧が個人に押し寄せる中で、今のこの国の制度として、社会に馴染めず一度休みたいです。となった時、その人に対する支援というのがあまりにも厳しいものだなぁと感じているんですね。

例えば、何らかの理由で仕事を辞めますとなった時とか。私自身、鬱で一度ダメになったんで分かるんですけど、仕事辞めましたwで、一気に楽になるんじゃなくて、
はい、年金や保険の切り替えてねwと手続きに追われ、ダメだって言っているのに、最初の1ヶ月ぐらい、休む時間すら与えてくれないんですよね。

そして、じゃあ失業保険とか受けようと思ったら、あれ就職活動をしないと貰えませんって内容じゃないですか。
いやいや、もうソコまでの体力ないんだよ~。って話は通じなくて、先に述べた年金にしろ、どんな保険や制度も、社会へ再接続し、労働することを強要してくるんですよね。

それって、もうダメだよなって社会から一度離れたいよ。普通のボーダーラインを超え続けるのしんどいよ。って身の人にはとてつもないくらいに残酷じゃないですか。
どうもこれは、資本主義と言う考え方があまりにも行き過ぎているんじゃないか?
前記に述べた、婚活にしてもそうなんですけれども、これらを繰り返して、私達は人類の歴史を考えた時に、豊かになったのか?そして今、これから本当に幸福になれるのか?
と言うと、どうなんだろうな?と言った、疑問が浮かんでくるんですよね。

●【雑記】ニートニートであることで社会貢献ができている?
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar546861



◆あなたはそこにいますか?
ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」とかが描いていると思うんですけれどもWikipediaマンで頭の悪い私は、近頃の流れから読みたいと思いつつも読んでないです。
すんません。つまるところこれって、功利主義の話になると思うんですよね。

んで、これが「生きづらさ」の正体の一つでもあると思うんですよ。
こう、、、日本人がよく口にする。
 >「心配なんだ」
と言う言葉は本当にその人の心配は1ミリもしていないと思うんですよね。
その本心は、
 >「(お前に●●されると俺にも影響があって色々と面倒くさいから)心配なんだ」
って言葉にしか聞こえないんですよ。

もう目の前にいる人のことをちっとも見ていない。自分の事しか見えていない。
そりゃ、そんなやつに何も話したくないしさ。興味本位であーだこーだ講釈述べられて、自己満足の勝手な同情されるって、それ、辛いよ。そりゃ、生きづれーーーーってなるよ。

●【雑記】"好き"がない僕たちが"これから"生きるには
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1558478



◆そしてセカイはハーモニーになる。

今まで述べてきたことをまとめると、現代に移ろい変わってきた結果、人々の思想の根幹に「ホモ・エコノミクス的な思想が正しい」と圧倒的な力を得すぎてしまったんではないでしょうか。

特にコロナ君が猛威を奮っている今、スマートフォンを利用した位置情報の連動を使って、陽性の接触があったかどうかの確認が出来たり、エンターテイメント施設に入る時には、体温検査が行うことがニューノーマルとして受け入れられつつある。

少し前で言えば、ガジェット好きや、フィットネス好きは、スマートウォッチを使って、睡眠時間、心拍数、歩行距離、食事などがグラフ化され、24時間ウォッチされることを自ら進んで率先して行うようになった。

自身の行動が0と1のセカイによって、数値化されることに抵抗感がなく、むしろそのスコアを眺めることが楽しいと思うぐらいに、我々は管理されることに、したたかな喜びを得るようになってきた。

確かに、緩やかな監視化が始まっている。
管理化が本当にヒトにとって幸福なのか?今一度立ち止まる必要があるのではないか。
確かに国民性として他人に迷惑をかけるのはダメと言うのはわかるが、スメルハラスメントと言うような言葉が出てきた昨今では、あまりにも潔癖が、管理化が行き過ぎているような気がしてならないのだ。

我々の世界は、ハーモニーのセカイへと一歩一歩と足を進めている。
おそらく私の目で見ることは出来ないだろうけれども、この歩みの先に、「幸福は義務です」とコンピュータに囁かれる日が待ち受けているのかもしれません。

●人生2.0(上) ~"生きづらさ"と"テクノロジー"の関係性~
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1439878
●人生2.0(下) ~"生きづらさ"と"テクノロジー"の関係性~
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1439918



◆それでも富は増え続ける
こうコロナ君が猛威を奮ってくれて、株価とかガーってめちゃくちゃ下がったじゃないですか。んで、その時めちゃくちゃ私嬉しかったんですね。
私が持ってる資産は死ぬほど減ったんですけど、これで資本主義が終わるんだ!ってワクワクしたんですよ。

んで、今どうなってるかって言うと、ほっといただけなのにコロナ前よりなんか私の資産増えてるんですよね。
世界にここまでの打撃を与える出来事なのに、株価と言うマーケットの世界に与えた影響はたった数ヶ月で、富は増え続けると言う事から僕たちは逃げられない。資本主義には勝てなかったんだ。って絶望したんですよ。
その中で光明かのように見えて毎月クラウドファンディングに●●万以上入れてるんですけど、そこも資本の大前提はやっぱり覆せなくて、信用と実績の世界になっていて、やっぱりそこに囚われてしまうのかと、頭を抱えています。

そこまでして、富を増やし続けることが、本当に人にとって幸福なのか。
どうしても、私は疑問が拭えません。

その利害関係の無い富とはなにかと言うトコを突き詰めて行くと、「純粋贈与」とか「アガペー」の話や、アニメオタク的に言えば、けものフレンズサーバルちゃんに接続できるんでしょうね。そのへんの文脈も自由論に続き、もう少し勉強が必要ですね。

●【雑記】"魂"が"貨幣"に縛られる時
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1379440



◆潔癖化がもたらした歪みの顕在化
これらの潔癖化が行き過ぎた結果、昨今みられた凶悪な事件と言うものの根幹に根付くハビトゥスの正体はきっと、ここにあるんじゃないかなと私は考えています。

●【雑記】相模原事件から考えたこと
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1102878
●【雑記】座間事件に"愛"を見た
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1367735
●僕が見た、京都アニメーション
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1817826


つい先月あった、ALS嘱託殺人事件とかもそうなんですけれども、あまりにもマスの反応が潔癖が行き過ぎた結果を証明しているようなそんな気がしています。

何が言いたいのかと言うと、高度にテクノロジーが発展した今、人は死と言うものを目にする機会が減り、非日常になったんだと思っています。
単純に、寿命が伸びて死ににくくなったよ。そして、老衰とかでも家で死ぬ人より病院で死ぬってケースが、高度経済成長とかと今を比較すると、物凄く増えた。
んで、葬式とかもパッケージ化され、お金払えば、宗派だなんだとか、何がなんだかよくわかんないけど業者が全部やってくれるじゃないですか。
そのような非日常になった結果、潔癖化の反動が来ているんだなと、そんなことをマスの反応から、強く感じています。

それの何が問題なのかと言うと、
例えば、老人を維持するのって単純にコスト掛かるから、労働生産性に着目したら、死んでもらった方がいいよねって、そりゃ、その観点から見たら、そうなるのは当たり前じゃないですか。
それが徐々に私達の日常に、ハビトゥスに組み込まれていくんじゃないか?と言う潔癖さが正しく証明されているような気がしていて、そこに非常に恐怖を感じるのです。

また、老人に限らず、発達障害だとか、精神疾患とかも一緒で病気とラベリングされる症状が物凄く増えて、その結果、あなたは病気です。健常者ではありません。と言われるケースって物凄く増えたんですよ。
それはそのような症状を抱えています。と診断された人数がが年々増えているというグラフから判断が行えます。
これは、最初にも述べたとおり「普通の人」って何ですか?、普通の人のハードルってめっちゃ高くないですかって話と通じてきます。

そのような潔癖さ、ハードルの高さがもたらされた秩序のある、健康的な日常って、ハーモニーで描かれた世界とそう違っていないと思うんですよね。

それは、本当に豊かな、人間らしい生活。なのか?
増え続ける富にしてもそうですが、私は疑問でしかありません。



◆よきケモノビトたれ
これまで、ホモ・エコノミクス的な進化について、私が思ったことを書いてきましたが、そもそも人間って動物なんですよ、忘れがちですけれども。。。どこまで高度にテクノロジーなどが発展しても、根幹としてある部分って言うのは動物で、弱い、怠惰な生き物だと思うんですよね。

眠てぇーって思ったら寝たらいいし、腹減ったーって思ったら好きなもん食べたらいいし、好みの異性見たら、ふーんえっちじゃん!って誰だって思うじゃないですか。
そういった本能的な部分って言うモノに対するリスペクトをしていって、本能とホモ・エコノミクス的な面とのバランスを考えていく。そんな時代になりつつあるのではないでしょうか。

ここまで、いろんな観点から私が感じた「生きづらさ」の背景にあるものについて、疑問に思ったことをなぐり書きしてきましたが、その疑問の数々に対する私のアンサーは、未だ出ていません。

むしろ、この問いに対する答えと言うのは無いと思っていて、常に最善とはなにか?を永久に考え続ける事が正解のような気がしています。

だからこそ、私の大好きな画家ポール・ゴーギャンのこの言葉で締めようと思います。

 

我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
――ポール・ゴーギャン




●”ここ”に至るまで
TV「彼女は安楽死を選んだ」(NHK
TV「ドキュメント 精神科病院×コロナ~最前線からの報告~」(NHK
TV「「普通に働いて普通に給料貰えればいい」障害者と企業 理想の雇用とは」(ABEMA)
映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」
映画「暗闇から手をのばせ」
映画「家族を想うとき」
アニメ「BNA」
アニメ「風の谷のナウシカ
アニメ「PSYCHO-PASS
本「日本の未来を考えよう」(出口 治明)
本「FACTFULNESS」(ハンス・ロスリング)
本「開けられたパンドラの箱」(月刊『創』編集部編)
本「ハーモニー」(伊藤計劃
本「すばらしい新世界」(オルダス・ハクスリー
講演会「教育という虚構」(小坂井敏晶)
講演会「これからのフェミニズムを考える白熱討論会」(石川優実/青識亜論)
フリーライターの友人Tさんとの会話。
介護職の友人Mさんとの会話。
四肢麻痺の友人Uさんとの会話。
今は亡き友人Nさんとの会話。
などなど、、、


そんなかんじで。
おしまい。