くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【趣味/映画】シン・エヴァンゲリオンを見て(ネタバレ有り)


ネタバレ含みますので気になる方はご注意ください。


◆ぼくのエヴァンゲリオン 
公開初日に見てきました。視聴後はいろんな感情がぐるぐると僕の中で駆け巡り、少し期間が空いた今、その気持ちに何か名前をつけたくて、キーボードを叩く事にしました。
しいて言うのであれば、卒業式を終えた日の暮れ。そんな日を体感したような感覚だ。

シン・エヴァンゲリオンについて語る前に、僕が見てきたエヴァンゲリオンについて語らなければならない。なぜなら四半世紀もの間、僕たちの心の中に呪縛として、この日まであり続けた存在だからである。

僕は、多感な学生時代を過ごしたのはゼロ年代であり、その時肌で感じたオタクコンテンツの中心にあったものと言えば、涼宮ハルヒの憂鬱であった。
それは、エヴァンゲリオンをリアルタイムで追いかけて熱中した世代のオタクからすると、一つ二つ下の世代になる。

そんな僕が最初にエヴァンゲリオンに触れたのは、エヴァがすごい!と年上の知り合いに言われて、小学生の高学年ぐらいの頃、レンタルショップで借りてきたVHSでアニメを視聴し、なんだかよくわからないアニメだなぁ。でもエヴァはかっこいいな。だなんて印象を抱いたのは、今でも覚えている。

まともにエヴァンゲリオンというものについて理解が深まってきたのは、中高生の頃だ。
エヴァに乗りたくないと葛藤するシンジくんの気持ちは、等身大の自分のように感じれたし、旧劇を見て、大人になりたくてなれない庵野さんの気持ちがダイレクトに伝わってきて、その当時の僕の心に根をはったのだ。
それから15年以上の長い長い付き合いになるだなんて、この時は思いもしなかった。

・・・その他書いたエントリとか。
【趣味/映画】"シンゴジラ"とは何だったのか
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1207794
僕が見た、京都アニメーション
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1817826
【アニメ/映画】『君の名は。』見てきた感想とネタバレ
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1097243


◆シン・エヴァンゲリオンを見て
まず視聴後に真っ先に僕が思ったことは「僕を置いていかないでくれ!シンジくん。」という事だった。
ずっと僕はシンジくんに、大人になりきれない僕の気持ちを重ねていて、もうひとりの僕がいるとシンパシーを感じていたが、ゲンドウと向き合うことを選んでいくその姿に、なんだか僕だけが取り残されたかのような気がして、少し裏切られたかのような気持ちになったのだ。

だが、アニメや旧劇の頃とは違い僕は年齢をあまりにも重ねすぎた。
そんな僕が抱くモラトリアムに、シンジくんを庵野さんをいつまでも縛り続けるのは、エゴと言う他にならない。
これはあくまでも庵野さんの物語であって、僕たちの物語ではない。
シンジくんは庵野さんは、葛藤から抜け出し、そして立ち上がる事を選んだのだ。
僕は、そのことを素直に祝福をしなければならないのだ。


本作でもう一点僕が注目したことは、ゲンドウと言う登場人物について補完がされ、救済がされたことだ。
今までの作品ではその多くを語られて来なかったがゲンドウだが、そのゲンドウ自身の言葉で、シンジくんと対話がなされる。
世界も息子も、自ら人の形も捨て、心を塞いで一人ぼっち。ただユイに会う事だけを願った。
そんなゲンドウが、シンジくんとの対話を重ね、心をさらけ出していくうちについに救済の時が訪れる。
対話を繰り返していくうちにシンジくんとゲンドウが抱き合うことが出来たじゃないですか。これ、お互いがお互いに一番成し遂げたかった事だよな。単純に素晴らしいよなって思ったんですよね。
詳しい会話の内容までは、もう覚えてはいない為、見に行く人が落ち着いたら、もう何度か映画館に足を運ぼうと思う。


そんなふうに自分の中で折り合いが付き始めた頃、次に出てきた言葉は「なんだかすごいものを見た。」であった。
膨大な時間と数作品に跨いで紡がれた大作映画で、ここまで個人的な感情を盛り込んできたのと、今までのエヴァンゲリオンの作品を全て統括し、そして一つの結末を描こう。としたその意気込みに感動したのだ。

ゲンドウが脳みそを拾うシーンだとか、量子テレポーテーションでキャッキャするゲンドウとか、笑いがこみ上げてくるようなツッコミどころ満載のシーンも数多くあったが、それ以上にエヴァンゲリオンは意思の話で、覚悟の話であると言う、何年も前に紡がれた所信表明から一貫した強い気持ちが、映像から物語からダイレクトに伝わってきて、そんなの、もう泣くしかないじゃないですか。

僕を置いていかないでくれ!とは思った。でも、勇気を持って立ち上がろうとしている者を沼にいつまでも引きずりこむ資格は誰にもない。
次回、○○○○!サービス!サービス!と流れることを期待してしまったが、もういいじゃないか。繰り返しになるが、これは僕の物語ではない。庵野さんの物語なのだ。だから、いいじゃないか。許すだとか許さないだとか、言う資格は誰にもないのだ。
まだ、TVシリーズを見た時からずっと僕は立ち上がる事は出来てはいないけれども、シンエヴァンゲリオンを通して、まっすぐにゲンドウに立ち向かい、対話を選んだシンジくんの姿に何だか僕まで報われたような気がしたのだ。


また、ラストシーンにおいて「現実にもどれ!」と言うメッセージを受け取る人が結構見受けられていて意外だったなぁって思っています。
僕はそう感じていなくて、最後に描かれた表現と言うのは、実写の街にアニメキャラクターが歩いているってシーンだったじゃないですか。それって現実と虚構のハイブリッドなんですよね。
それはアニメ(虚構)が大好きなオタク(現実)に対する賛歌のように受け取れて、物語としてシンジくんとゲンドウの二人の折り合いがついただけではなくて、画面の前にいるオタクたちに対する庵野さんなりのメッセージのように感じたんですよ。
ああ、オタクやってきてよかったな。この映画を見れてよかったな。と素直に思ったんですよね。

LAS(古の言語)過激派とかは、な~~にがケンケンじゃあ?!?!?とお怒りだと思いますが、そこはもう卒業式なんで成仏してもらうとして、エヴァ直撃世代や、数世代下の私ではなく、今学生のオタクたちが、この作品から何を受け取ったのかは、気になるところですね。


自分の中での気持ちの整理は、本当の意味ではまだ出来ていないのだろう。なにせ15年以上もの付き合いだ。自分のこの気持ちが、上手く言葉に出来たとも未だ思えない。
それは、作中でシンジくんに時間が必要であったように、僕にも時間が必要なのであろう。


感情がもうぐじゃぐじゃでなんだかよくわからないエントリとなったが、最後は、この言葉で締めようと思う。15年以上も間、付き合ってくれて、ありがとう。そして、さようなら。

さらば、全てのエヴァンゲリオン






ちなみに僕はマリ派です。