くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】表現の自由=誰かをバカにしてもいいは違うと思う。

よく、「これも表現の自由だから!」と言う人が多いですが、
だからと言って、好き勝手に無責任に他人を馬鹿にするような貶した行為をするのは、
ちょっと違うかなーと私は思っています。

昔、テレビ番組で「エン●の神様」と言うものがあったのは、
数多くの人が覚えているかと思いますが、私はあの番組が本当に嫌いでした。
他人を馬鹿にしたり傷付けたりするような言葉を投げかける、人の気持ちを考えないやり方での「笑い」を取る行為をしている人があまりにも多くて、見ていて嫌悪感を覚えました。
「人を馬鹿にする笑い」も確かにあると思いますが、アレはあまりにも手法が幼稚すぎて、見るのが耐えられませんでした。
それは、ある種”過激な事をして笑いを取る人たち”に近い部類なのかもしれません。
「人を馬鹿にする笑い」も確かにありますが、もう少し捻りをきかせて、
ユーモアのある笑いの作り方をしてもらいたかったなーと思います。
あれではまるで「ただの動物園と変わらない」と言う印象でした。

一例として、お笑いを取り上げましたが、そう言った事ばかりではなく、
表現の自由」を掲げ、発信者として立ち上がる。
その事に対してはすごく勇気のあることで、評価に値する事だと私は思います。
ですが「自由だからなんでもやっていい」と言うのとは違って、
発信者は”発信者なりのやり方”と言うものを考えていかなければなりません。

特に他人を傷つけたり、貶めたりする発言の仕方と言うのは、
発信者として、どうなのかなぁと私の中で、腑に落ちない所があります。
その発言したことに対して発言者が責任が取れると言うのであれば、それはそれでいいのかもしれませんが、コンテンツの視聴者/利用者を一つの視点から捉えた考え方、発信者にとって都合のよい考え方に煽ったり誘導するようなやり方と言うのは、発信者としてあまり喜ばしい手段とは私は思えないんですよね。

この辺りは非常にデリケートな問題で、今の私は「こうだ!」と言い切れるよな明確な答えを持っていません。へぼい人間なんでしかたがないですね。
それは個人の尺度や考え方によって変わってくる事で、難しい問題なんですが、そういった事柄に対して、メスを入れたいなーと私が今思ったことをそのまま記事にしてみました。


よければ以下記事もどうぞ
●【雑記】表現者にとって優しくて厳しい時代
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar603566 
●【雑記】利便性や情報が国民にもたらしたモノとは何か
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar669628
●【雑記】明確に意思表示をしない人達
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar571268


そんなかんじで。
おしまい。