くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】どうして人を貶める人はいなくならないのか

十人十色。人それぞれ。と言ってしまえばそれまでなんですが、
どうして人を貶めるような事をしてしまう人達が出てきてしまうのかなぁとよく考えます。

特に人を馬鹿にしたり貶めたりする傾向が顕著なのがインターネットを利用したコンテンツ。
その辺りは、インターネットの匿名性の高さだけに限らず、スマートフォンやパソコンと言った媒体に限らず、SNSTwitterなどのインターネットサービスの普及と共に、一部のコアな人達しか知らなかったモノが一般大衆に気軽に触れられるようになって、コンテンツの入り口が広がったことによるリテラシーの低下がもたらして来た影響と言う側面が大きいと思います。

本題ですが、そういった人達が後を絶たないのは、やっぱり気軽ですし「自分は安全圏から、他人のアラを探して攻撃をすることによって、ストレスの発散をしたり、そこから自尊心を得たいから」と言うことなのでしょう。
ですが、そんな事に時間を使うぐらいなら「今現状を考えて、どうしていけば、自分の今の環境が変えられるのか?」と言う事に視点を移して行ったほうが、よっぽど生産的で、幸せになれる道だと私は思います。

誰かを攻撃しても自分の頭がよくなったり、お金が増えたりするわけじゃないですし。
そうやってグダグダと自分に言い訳をしている間にも、前を向いている人達とは差がどんどんとついていき、気がついた時には、もうどうしようもないくらいに、他人を貶めることでしか自分の場所がなくなってしまう。そういうのって、凄い寂しいことだと思うんですよね。

よくTV番組の特集やニュースとかに取り上げられる、よくそんな凝った事したなーって驚く犯罪をする人を耳にすると思うんですけど、そう言った”頑張る方向性を間違える”のって凄い勿体無いと思うんですよね。
その努力する方向性や才能をもっと別の方向で活躍させたら、皆幸せになれたんじゃないかなって思う事ってありますよね。

”他人を貶める行為”って言うのは、そう言った事と一緒だと思うんですよ。
「努力する方向性を間違えないようにしよう」
言葉にしてみれば、凄く簡単ですが、それは凄い難しいことだと思いますし、
努力をしていく上で失敗したり、上手くいかなかったり、どんだけ努力しても追いつけなかったりすることって、あると思います。
そう言った時は、立ち止まって視点を変えてみて、よーく考えて最善だと思う事をトライアンドエラーを繰り返していけばいいと思います。
それが経験であり、自己の持ちえる技術や能力へと変わっていく。

そんな風に物事って考えてみると、すごーくシンプルだと思うんです。
難しくなるのって、大体人間があーだこーだってこねくり回すから、
わけわかんなくなるだけだと私は思うんですよね。



よければ以下記事もどうぞ。
●【雑記】"表現の自由"="誰かをバカにしてもいい"は違うと思う。
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar726959
●「◯◯じゃないからやり直し!」と言う、言葉の流行りを考える
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar458342
●【雑記】私が考える「生産性のある会話」と「責任」について
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar564473
●【雑記】利便性や情報が国民にもたらしたモノとは何か
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar669628


そんなかんじで。
おしまい。