くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】コンテンツの流行の背景にあるモノとは何か?


◆流行の背景にあるのは共通感覚なのかもしれない。


夏目漱石太宰治宮沢賢治
”文豪”と呼ばれる天才達。

私は、彼らの作品に触れ、改めて思いました。
これらの作品を”本当の意味で理解し楽しむと言うのは、現代の我々では不可能なのかもしれない”と言う事を。

私が何が言いたいのかと言うと、こういったカルチャー文化の根底にあるものって言うのは、時代的な背景、その世代が培った価値観、無自覚に養われた共通感覚があるからこそ、気がつけたり、楽しめたりする面があるんじゃないかなーって思ったんですよね。

"共通感覚"の分かりやすい例で言えば、携帯電話が筆頭なんじゃないかなって考えています。
最近の小説や映画には、当たり前のように出てくるし、それをテーマや仕掛けとして扱っている作品もあったりします。
また、普段の描写においても近頃はトークアプリ(LINEとか)を自然に使っている場面とかもあって、時代は進んだなーと感じます。

分かりやすいように技術革新(携帯電話)を例に出しましたが、それに限らず、時代や世代的な背景によって無意識のウチに齎される価値観によって、物語に共感出来たり出来なかったりする部分ってあるんじゃないかなーってふと思ったんですよね。
一言で言ってしまうと、”ジェネレーションギャップ”ですね。

だから、古典文学や、昔に作られた作品に触れても「うーんイマイチ。どうしてこんな作品が当時、評価されたのだろう?」って言うのが出てきたり、そんなふうに感じてしまっても、仕方がない部分ってあるよねと思うのです。



◆現在のサブカルチャーの流行は?

そこで、一歩話を進めまして、近頃のサブカルチャー文化で特に目にするのは何か?と考えて見た時、思いついたのは、なろう小説を筆頭とした”異世界転生モノ”だと思います。

このような物語のフォーマットが流行に変わってきたのは、ドラゴン●ールやワン●ースなどの英雄譚もいいけれど、やっぱり、そういった人間になれるのって正しく一握りの人達。
だから、仮想世界や別世界で生まれ変わってチートで俺TUEEEE!みたいな方が違和感が無くなってきた(共感を得やすくなってきた)みたいな風潮があるのでしょう。

個人的には、そのような物語の風潮もそろそろ潮時だろうなと感じていて、仮想世界でも俺TUEEE!できるのだって一握りの人間だよねーって気がつきはじめている人は増えてきていると思うんです。
そこで、新しい物語のフォーマットとして受け入れられはじめているのは、何者にもなれない物語(最近だとネトゲ嫁)じゃないかなーと感じています。



◆それら二つに共通することは?

何よりもこれらの価値観って言うのは、インターネットが齎した情報文化の恩恵が大きいと思うんですよね。
”カバネリ”みたいなハードな作品も出てきていると思えば、”ふらうぃんぐうぃっち”みたいなゆるい日常系だってある。
ネット(情報)を通じて、ある程度の一定数には受けたり、評価される。
今はそんな、利用者の好みが多様化してきた時代なのではないでしょうか。

今はサブカルチャーにとって、厳しいけれど優しくもある時代だと思います。
情報の伝達が速いことによって、齎されるデメリットは確かにありますが、それと同時にメリットだってあると思うのです。
だから、発信する人は挫けず頑張ってほしいなと思う。見ている人はきっと見ているはずだ。





よければ以下記事もどうぞ。
●【雑記】本当にサブカルチャーはファストフード化しているのか?
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1033546
●【雑記】斬新なコンテンツを作る為のヒントは他の媒体にあるのかもしれない
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1028844
●【雑記】コンテンツの”新しい”と”古い”の曖昧さ
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar982213
●【雑記】秋葉原はオタクの街ではなくなった?
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar705045
●【雑記】「オタク」の定義、在り方を考える
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar539757
●【雑記】「●●を知らない奴はオタクじゃない!」と言う思想の檻
http://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar730224



そんなかんじで。
おしまい。