くらむ本

常にネタ切れ。たまに書く。

【雑記】記録に残すということ

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私は古の時代はmixiや、はてなとは違うブログサービスで何か書いていたり。直近の6年間ぐらいはニコニコのブロマガでよく思ったことを書いていたのですが、それをここ数年行わなくなりました。(去年以前のはニコニコから移植したやつです)

そして、改めて記録に残すと言うのは、凄く大事だよなぁと思ったことをここに書いておきます。

 

 

◆私は、何処から来て、何処に行く?

例えば、年末年始とか。自分がこの一年どんなことを考えて、どんな過ごし方をしていたのだろう?と考えた時、何らかの媒体で記録を行ってこなかったら、そりゃ振り返りたいな。と思っても、ざっくりとは分かっていても、いや何してきたんだっけ?って、大半の人はうろ覚えになります。

人間の記憶なんて酷くいい加減なもんで、10ヶ月前何を思って、何をしてたかな。だなんてそうそう覚えていられる人、いないと思うんですよ。

 

なんで、その記録が大事なのか。と言うと、「過去」に自分が何をしてきて、その時に何を思ったのか、と言うことを「今」俯瞰的に見ることができれば、「あ、そういった積み重ねがあったから、今自分はここにいるんだ」と言うように、何か掴むことができると思うんですね。

そして「今」思ったこと、考えていることがあるから「未来」ではこうしていたいな。だなんて朧気ではあると思うんですけど、なんとなく、自分の積み上げたもの、目指したいもの。そういったものが少しわかるようなそんな気がするんです。

 

 

◆記録のカタチ

その記録に残す形はなんでもいいと思っていて「美味しいご飯食べに来た!写真に取るよパシャ!」だとか、「うんこいっぱいでた!ツイッターにつぶやくよ。」「友人Sくんと久々に会ったぞ!スケジュール帳に一言書くよ。」とか、「ゲームの難しいボス倒した記念!スクリーンショット取るぜ!」とか、ほんとに些細な事でいいと思うんですね。

そういった記録の積み重ねって言うのが非常に大事だと言うのを、凄く今更ながら大切にしないといけないもんだなぁだなんて痛感しています。

 

ただ、その記録の方法で考えないといけない点が一つだけあります。

自分がその記録をしたモノをちゃんとリソースを割いて見直すことがある媒体にすること。が非常に重要です。

 

私の話になりますが、ブログと言うようなカタチにまとめていない、思ったことをまとめてあるテキストデータがちょこちょこあったり、ツイッターでなるべく思ったことを一日一回はつぶやこう!だなんてことをしていたりしているわけなんですが、じゃあ、それ見返すか?って言ったら全くと言っていいほど見返しません。

そして、見返したからと言って何か自分にとって、そこから得られるものがあるのかって言うと、ふーんと思う程度になっちゃうんですね。それが「なぜか」と言われるとよくわからないんですけど。

 

ただ、ほんとうにこれも「なぜか」なんですけど。ブログと言うようなカタチで過去に発信したものに関しては、本当に時たまに見直すことがあって、うわ、この時の僕、こんなこと考えてたんだ!こんな頭よさそーな言い回し今だったら絶対使えねぇわ、、、みたいな、なんだか感情が揺れ動く瞬間があるんですね。

自分のパソコンに入っているテキストデータとインターネットの海に投げたデータって私が書いているもの。と言う一点では変わりはないのに、なんだか見る時の目が違うんですよね。違いがあるとすれば、誰もが目にふれるインターネットの海に流したから。と言う一点が大きいのかも知れません。いやー不思議だぁ。

 

 

◆今年は、、、

そんなことを思ったんで、誰かに見てもらいてぇ~!有名になりてぇ~!っていうような承認欲求ではなくて、ブログを「未来の自分」のために、記録の手段として。ゆるい感じでたまに時間を見つけては書いていきたいな~~~~だなんてそんなことを思った1月です。

 

 

そんなかんじで。

おしまい。